●連載
がたやま娘のひとりごと      文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

まだ続く忍耐生活。たえちゃんとこの被災報告シリーズの5だす。



被災地の隣にて その5

夫の実家から、鍋で米を炊いて欲しいと連絡があったので、炊いて待っていた。その頃に

はもう日が暮れていたので、2日目の停電も覚悟していた。真っ暗で冷える家にご飯を取

りに来た姑たちが「うちの地域、もう通電したから、もうそろそろ電気回復するんじゃな

いかな。」と言ったので、外に出て近所を見たら、確かに国道沿いに街灯が点いていたの

で、もうすぐだと思った。

ほどなくして通電したが、夜の7時を過ぎていた。およそ30時間の停電だった。

「電気が通った!」と大きな声で私は言い、急いでコタツを点け、お風呂を沸かした。再

度伯母に電話をしたが、話中だったので、もう大丈夫だと思った。従兄には通電したこと

を知らせた。(後日談だが、この伯母は後に家に来た時に、このような従兄と私の状況を

全く知らず、近所の悪口と息子と孫の自慢話をしただけで帰って行った。)


顔はもうカサカサだった。防寒と落下物を避けるために、ずっと厚手の帽子をかぶってい

たので、髪もボサボサだし、着ているものも何だかよく分からないようないでたちだった。

ばあちゃんたちが言っていたことって、こういうことだったんだな、と思った。そういう

状況が、何年も何年も続いたのだよな。お腹が空いた、今日も明日も不安だって、ばあち

ゃんたちは、そういうことに何年も何年も耐えたんだよな。私は、たった1日だ。だから、

分かったような気になっているけど、実はぜんぜん分かってないのだ。でも、分からなく

ても良いのかもしれない。ばあちゃんたちは可愛い孫たちに同じような思いはさせたくな

いはずだから。


パソコンでメールをチェックしたら、韓国と台湾の友達から安否確認のメールが来ていた。

とりあえずお風呂に入ったけど、余震が怖くてゆっくり入っていられなかった。とりあえ

ずチャポンと入って、チャポンと出た感じだった。流した、っていう方が相応しいかも。

ぜんぜん温まらない。

テレビをつけたら、目を疑うような情報ばかりだった。火が燃え、水が溢れていた。私も

知っているところ、行ったことがあるところが、想像もつかないようなことになっていた。

何がどうなっているのかよく分からなかったし、俄かに信じることはできなかった。しか

し、状況を知らないと冷静に対処できないので、テレビやインターネットなどで、注意深

く状況を知ろうとした。


余震がまだあるので、ストーブは点けず、また厚着をし、帽子をかぶって毛布にくるまり、

電気が点いたその夜もまた茶の間に横になった。


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