10/31のしゅちょう             文は田島薫

(人を馬鹿にすることについて)

茨城の病院で入院してる親父の見舞いに病院の無料循環バスに乗ってた時のこと、途

中で時々乗って来る歳の離れた夫婦か親子がいて、男の方は80才を過ぎてて足が悪い

らしく杖をついてる、女の方は男より20ぐらい若くて、それの付き添いをしてるんだ

けど、男の方は気が立ってる性格らしくいつも女をしかりつけてて、その日も、家の

前のバス停で折り畳み椅子かなにかに腰掛けてて、何か女に怒鳴ってる。よく聞き耳

立ててみると、早く乗れ、って言ってるらしいんだけど、女の方は黙って動かないも

んで、ますます大声で、同じこと言って、この馬鹿が、って吐き捨てるように言いな

がら、女より先によろよろステップへ上がって来て、しばらく怒りが治まらないよう

だった。女の方は慣れてるらしく、淋しそうな表情ながら落ち着いている。

どうみても、足がわるくよろよろした男を後から乗せるよりも、先に乗せて後ろから

介護する方がいい、と女は考えてるはずなのに、男の方は、それに気がついてないの

か、自分の足腰の具合の悪さはわかっていても、ステップを上ることに問題は感じて

いず、とにかく、先に女を乗せて、自分は気をつけながらゆっくり上がろう、って考

えたのかもしれない。

男がそう考えたんなら、それはそれでひとつの考え方だろうけど、私の目からは、よ

ぼよぼのじいさん、素直に支えてもらえよ、って感じたのだ。

男は、自分が弱味を見せるのがやだったんで、女に命令口調で指図したのに、女の方

が言うことを聞かない、って怒ってるんだろうが、その感情の表現に、あれ?って感

じさせられた。歳の離れた妻か娘に「馬鹿」、って言ってる勢いが「本気」なのだ。

身内同志で馬鹿野郎、とか言うやりとりはよくあることだろうし、いちいちそういっ

た場面を気に止めることはしてないはずの私が、あれ?ってここまで本気で、「他人」

を愚ろうしていいのか〜?って感じたニュアンスだったのだ。

その男は、自分は家で一番身分が高い人間であり、自分以外の家族には命令を下す権

利も、馬鹿にする権利もある、って感じている、歴代の家父長制に染まった男で、そ

れについての近代的問題提起といった事には無頓着な素朴な人物なんだろう。女子供

は自分が保護しなけりゃいけないんだ、ってそれができるから長である自分は偉いん

だ、って、で、弱いおまえは先にバスに乗れ、って言ったのに、この偉い自分に逆ら

って言うことを聞かない、なんちゅう馬鹿野郎だ、って本気で怒ったのだ。で、結果

的には、オイオイ馬鹿はおまえだろ!、ってみんなに思われてるわけなのだ。




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