10/17のしゅちょう             文は田島薫

(格差反対デモについて)

ニューヨークで失業者らが組織的に大挙集まり公園に寝泊まりし、ウォール街などで

デモ行進し、金持ちにもっと増税を、われわれには仕事を、って訴えていて、これに

賛同してヨーロッパの都市や東京でもそういうデモが行われている。

金持ちは貧乏な自分らに来るべき富まで独占してる、っていった大雑把なスローガン

は、どっか気恥ずかしいぐらい単純なんだけど、若者の失業率が2桁もあり働きたく

ても仕事がない、って情況で生活費もままならない時、放慢経営で破産状態の証券会

社などに、それが大手であるという理由で、莫大な公的資金を与え、その会社の役員

などは相変わらず巨額の報酬を得てる、っていった事実を知ったら、無産の若者らが

その差別的社会矛盾に怒るのは当然だろう。

人と自分をくらべて、自分よりいい暮しをしている者をうらやむのは、醜いことだ、

って昔から一般常識になっているらしいし、それをする自分もどこか情けない気分に

なるはずなんだけど、それは、ただ愚痴ったりしてるだけで、いい暮しができるよう

になるだけの努力をしない場合のことで、いくら精一杯の努力をしてもなんとも報わ

れない、といった社会構造の矛盾がある場合はそれに当たらないだろう。

今回のような動きは、それをする当事者にとっては、明確すぎるぐらい明確なメッセ

ージと感じてるはずなのにくらべ、そのターゲットになってる、金持ちにとっては、

腑に落ちないばかりか、それをする貧乏人に対して反感を持つ方が多いのじゃないか、

って私は思うんだけど、だって、ウォール街で成功したような金持ち、ってもんはた

いてい、そのための努力や苦労をしてるもんだろうし、その自負もあるはずで、若者

がちょっと就職にあぶれたぐらいで騒ぐこたない、って考えるだろうと思うからだ。

けっきょく、一度成功をした者はその経験値が基準になるわけで、どうにもならない

情況がある、ってことは理解できないのだ。なんとか道はあるはずだ、って言って。

たしかに、道はゼロではないかもしれない。どんなに悲惨な社会経済情況の中からで

も、起業して成功する者はいるだろう。今のこんな失業者のデモに対して、反論する

金持ちは、こういった波を乗り越えて来た者が多いんだろう。自分ができるのだから、

だれでもやればできるだろう、って軽く考えてしまうのだ。

そう言ってる当人は、社会構造についての認識能力が高く、情況を読みそれに対処す

る術を知った数少ない人間の1人なんだ、と自分のことを考えるべきなのだ。

一般の人々の多くは精一杯努力できても、自分で新しく切り開いた分野で、ってわけ

には行かないわけで、ほとんどの人は、別に特別なことをしたいわけじゃない、昔か

ら続いている決まりきった仕事でいいからもらえたらきっちりがんばりたい、って姿

勢の者が多いのだ。で、衣食住に不足がなければ、多少、贅沢な生活をしてる人間を

うらやむかもしれないけど、それほど文句はない。あんまりいろんな事に神経使って

ストレスの多い立場より気楽がいい、って思ってるはずなのだ。なのに、今は、その

衣食住が足りて、ってだけのことにも危機感が広がる時代なのだ。

こんな社会情況を改善するのが政治家の仕事だと思うんだけど、自らは高報酬受けて

安心な議員たちは、この問題を精一杯考えているんだろうか。




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