10/11のしゅちょう             文は田島薫

(生きる喜びについて)

生きる喜びについて、なんて言えば、なんだかくさい説教が始まりそうで、おいおい、

かんべんしてくれよ、なんて言って読むのやめちゃう人も多そうだけど、それほど大

げさなこと言うつもりはなくて、なんだい、あたりめーじゃねーか、分かり切ったこ

と言ってんじゃねーよ、って言われるぐらいの話で失礼を。

生きる喜び、ってもんは人それぞれ、いろんな趣味趣向があるだろうし、これが人の

生きる喜びなのだ、って言ったら、おれは違うぜ、って言われちゃうかもしれないん

だけど、どれにも共通するもんを探してみると、これだけは言えるんじゃないか、っ

て、それは、前提に“より生きている”ってことが必要で、それがあれば、たいてい

そこにはその、生きる喜び、ってもんが付いて来るもんだ、ってこと。

じゃ、生きてる、ってことは何か?、って言えば、身体の機能が働いていて、当人の

意識もある、ってことだろう。で、それがより充実してることが、より生きている、

ってことになるだろう。

そんなことを言えば、あたしもきっちり生きてるぞ、って言われるかもしれないけど、

昔、人々は自分の住まいや食事も、すべて自分たちの手足の力によって得ていて、そ

れをするだけでぐったりと疲れるぐらいの一日の労働のすべてだったのだけど、現代

人は、そんなことに身体を使う必要はなく、人によっては、一日じゅう家に座ってテ

レビを見てたり、ベッドで横になってるだけでも生きることはできるようになった。

移動するのだって、自分の足を使わず、自動車に運んでもらうだけとか。

とにかく生活一般が楽をしようと思えば、何もせずに済むようになり、楽になった、

って喜ぶことも多いのだけど。

で、動かなくなった人々に何が起こるか、って言うと、たいていは、体力の衰弱と病

気で、それでも医療の発達した現代は、ベッドや車椅子でよぼよぼと長生きすること

はできる。

楽になって、ベッドでよぼよぼ長生きがいいのか、歳とっても自分の力で動き回るの

がいいのか、どっちにより生きる喜びがあるのか、って言えばあきらかだろうけど。

そう思う人は、そうなる前に考えておいた方がいい、ってことだけど、そう思わない

人はそれでいいのかも。

そうは言っても、自分のがんばりとは無関係に病気になることもあるわけで、そんな

中でベッドや車椅子で、自分の身体の動く機能を十全に使ってる人も、生きる喜びを

感じてるはずで、とにかく自分の持つ力を十全に使うことがいいのだ。




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