思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、ふと子供のころのある感覚を感じたようです。
神田鍛冶町
神田鍛冶町といっても、『角の乾物屋の嬶がよこした勝栗買って…』というお話しでは
ない。
出かけるたびに電車の窓から見下ろしていた神田の町も仕事をやめてから足が遠のいた。
用事があって出かけてみると、小さな会社が集まる活気あふれる街の景色はサラ金の会
社が減ったくらいで変わっていない。
ちょうど昼時だったので街にはサラリーマンがあふれていた。
駅周辺には、安くてうまい食べ物屋が軒をつらねている。どの店も混んでいるので時間
をずらすためになつかしい街を歩き回った。昔からあるタバコ屋も健在で、驚くことに
店の一部かなり広いスペースを喫煙場所に提供している。小さな店一軒出せるくらいの
広さなのに商売よりも愛煙家のために開放するとは、さすが神田っ子。
食べ物屋もだいぶ代替わりをしているがお目当ての店はまだやっていた。入っていくと
馴れた店のはずなのにどこか落ち着かない。
街を歩いているときも身体のまわりに理由のわからない「すきま風」が吹くのを感じて
いたのだが、ここでも同じことを感じる。食事を終えるころその理由がわかった。
子どものころ友達を仲間はずれにするとき、「まぜてやらないよ」と言ったあれである。
隅から隅までとは言わないが勝手知った街だ。いつもどおりに歩いているつもりなのだ
がまわりのサラリーマン諸氏と自分の身のこなしのテンポが違っている。街にとけこん
でいないのだ。まるで観光客かなにかのように疎外感を覚えた。
仕事の量を減らしはじめたころ、街中に出ると人の流れに乗るのにすこし時間がかかる
のを感じたことがある。こんどもおなじ気持で時間がたてば、と歩いていたのだがどこ
かが違ってしまったようだ。
リタイアというものは、現役諸氏から「まぜてやらないよ」とお客さん扱いされること
だとわかった。今日感じた「すきま風」に気がつかないと老害といわれるのだろう。
この「すきま風」は、俗に言う“空気を読む”とは違う。いくら頭をつかっても身体が
ついていかない。神田鍛冶町、いいことを教えてくれた。