11/29のしゅちょう             文は田島薫

(核保有について)

イランや北朝鮮が核開発をやめないから、と言って米国や米国の同盟国である日本もそ

れらの国を非難してるわけなんだけど、米国が多量のそれを持ってて、その脅しで敵対

国であるそれらの国を政治的主導権で押さえ込もうとしてる状況の中で、それらの国が

自分たちも核を持ちたい、って考えても、それは当然のことだろうし、なんで、一方的

に非難されなきゃならないのか、って怒りを感じているに違いない。

核廃絶に向け、核拡散防止などと言い、米国主導で少しづつそれを廃棄し合ってるって

言ってもまだ片寄った国に多くの量が現実にある以上、それを口実に新たに保有を目論

む国を非難するのは不公平、ってもんだ。

核爆弾が非人道的な兵器(人道的兵器ってもんがあるのかは疑問だけど、その残虐さと

威力の度合いが大きいって意味ぐらいか)だ、ってことはだれにでも理解でき、どの国

の人間だって、自分の頭上にそれが落ちて来ることは望まないはずなのに、他国の人に

対しての使用は場合によってありうる、って考えてるのだろうか。

いやいや、本気でそう考えてる人間はいない、って信じたい。けっきょく、どの国の人

もそれを使うことは望まないはずなのに、敵国がそれを使うかもしれないから、それを

防ぐために必要なのだ、って双方が考えているのだ。

核は使うためではなく、それを使わせないための抑止力、ってみんなで言うわけだ。だ

ったら、さっさとみんなでそれを全廃してしまえばいいじゃないか、って思うんだけど、

どっかの国がずるをして、ほんとは残しといたんだわるいね、って言うかもしれない、

って恐れているんだろう。今の状況なら、保有したい国は保有させ、少しづつその量の

バランスを公平にしつつ限り無く全廃に近付ける他ないのかもしれない。

朝まで生テレビの終わりに、サブ司会者が出てきて「被爆国の日本は核保有に反対すべ

きだ」って真っ当な感想を述べたところ、出席していた女性評論家は「なぜ、被爆国だ

から核を持ってはいけないのか、被爆国だから核を持つ、って選択肢もありうる」って

問いつめた。自分が核保有に賛成というわけではないが、って補足していたんだけど、

こういう無責任な意見、ってどうなんだろう。核を持って抑止力にする、って考え方は

もし、あなたの国が核を使うなら、こちらも使いますよ、ってことのわけで、核を使う、

ってことは、唯一の被爆国の国民が受けた悲惨な状況を相手に対して行使する可能性を

表明してると同じことになるわけで、それをしながら、同時に核の悲惨さと廃絶を訴え

る、って矛盾の中で、その主題の訴えが説得力と「実効力」を持ちうるんだろうか。




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