思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、すぐに、ぜいたくに慣れてしまいました。



夢にも旬がある

子供のころから自宅で映画を観るのが夢であった。

そのきっかけは、ある映画をみたことにある。


映画というものは、一定の上映期間以外は自由に観られない。

また、同じ映画をなんども観ることはむずかしかった。

昔は、ロードショウ、一番館、二番館と降りてくるにしたがつて上映時間に合わせて尺を

詰められ場面の切り捨てが増えてくる。原因は二本立て、三本立てにあった。

テレビで映画の放映が始まったが、声は吹き替え、コマーシャルを入れるために大幅な短

縮、とオリジナルには程遠い。

やがて、レンタルビデオで好きなときにオリジナル映画を観られるようになった。こんど

は画面が小さい。テレビプロジェクターもあったがとても高価で手が出ない。


近年プロジェクターも安くなり、簡単に買えるようになった。

「仕事をやめたらプロジェクターを買って、映画三昧だ!」と公言したが、なかなか計画

が進まない。それはセットの億劫さが原因だ。スクリーンをセットし、部屋を暗くする。

わが家に常設の余裕はない。迷っているうちに年月がたってしまった。


テレビを買うとお上が小遣いをくれるという制度に期限がくるのでプロジェクターをあき

らめ、部屋には大きすぎるテレビを買った。

「さあ、今日から映画三昧」と、懐かしいジュディーガーランド主演の「スター誕生」を

借りてきた。半世紀前のことを思い出しながら観ていると、とある場面で広いリビングの

床からスクリーンがボタンひとつで出てき。

「あっ、これだったのか」映画の題名も忘れてしまった自分の原点がここにあった。

奇遇に驚いているうちにエンドロールも消えた…。

本来なら夢がかなって大感激をしているはずなのに、「なんだ、こんなものか」、とさめ

た自分がそこにいた。


夢というものは、夢であるうちに実現しないと夢ではなくなることがわかった。

初恋の相手に五〇年ぶりで逢ったら、そこにいるのは爺と婆であったというようなものだ。

叶わぬ夢を抱きつづけて終わるのもいいのだろうが、夢というものは、夢と思っているう

ちに叶ってこそ夢であることがわかった。

夢をもったら、それの実現を急がないと夢ではなくなる。

夢にも旬があるのだ。


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