思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、親しい友からのメッセージ、味わってます。
喪服の似合ふ季
友人の妻君が急逝した。
二人は幼馴染であった。
つまり、彼の妻君は幼馴染であり、彼女の夫君とも幼馴染である。
四十歳をすぎたころから、多くの友を亡くした。
それらのときは悲しみをおぼえたが、こんどは違った。
ルーレットの盤にころがされた球のように、死がいつ自分のポケットにはいってもおかしく
ない歳になると残るのは悲しみではなく寂しさだった。
漠然と死を考えていても、同輩の死をみるとそこにあるのは悲しみを通り越した寂寥感だけ
である。
「家庭の奥さんにしてはうらやましい」と会葬者がささやくくらい大勢の人があつまった。
現役を退いた彼、成人した子供達、二人の小学校から大学までの旧友、とそれぞれの持つ社
会の人々が参列した。
若者、中年、老人と多岐にわたる会葬者をみているとあることに気がついた。
若者や中年に喪服は似合わない。若者や中年の喪服姿には儀礼が匂う。しかし、ふしぎと我
々の世代は喪服が似合う。
老人の喪服とは、死を許された者のみに与えられた制服なのだろう。
この先得体の知れぬ夢を追うよりも、いま目の前にある時間と出会いを大切にしろ、と彼女
の死が教えてくれた。
喪服の似合ふ季を迎えたのだ。