5/18のしゅちょう 文は田島薫
(言葉の軽さについて)
鳩山首相が野党時に発した「普天間基地移転は最低でも県外」の「約束」が周囲の事情
でだんだん実現が怪しくなり、そのリーダーとしての素質まで疑われる事態になってる
わけだけど、当人はなんとか、その言葉のつじつまだけは合わせて「一部は県内になっ
てしまったけど、残りはちゃんと県外になったから約束違反ではない」って主張するつ
もりのようだ。
これは一般の見方からすると言い訳にしか聞こえないはずで、それによって鳩山首相の
評価が復活するかは難しいところだろうけど、難しい状況の中でぎりぎり正直に誠意を
尽くそうとしてることは認めてやりたいとこだ。
けっきょく、問題は現実的な調査や検証ぬきで、心情的理想論を気軽に発したことが、
自分の立場を苦しくさせたわけだ。
言論の自由で、だれでも思ったことをどんどん言っていい、ってことになってて、しか
も支持する人々が大勢いる意見について自分もそれを支持し政権を取ったら実行したい、
ってとこまでは高い志であり問題はないのだけど、やはり国のリーダーという立場にな
ると、その実行力が最終的に評価の対象になるわけだから、慎重さが足りなかったと言
えばその通りなんだろう。しかし、与党として団結してやってるはずなんだから、もっ
とその志を具体的にサポートするブレーンが用意できなかったもんなんだろうか。
常に現実的な障害の可能性ばかり心配してなにも発言できなくなってしまうのも、本末
転倒のわけだから、一概に発言の軽率さばかり責めるのもおかしな話なのだ。
言葉は口から簡単に発することができるわけで、でもその発言に責任を持てるかどうか
が発言者の信頼度の尺度になるわけだからそういった分野での軽率な発言はできにくく
なる、ってわけで、巷で氾濫するメールやらブログやらツィッターの内容が他愛無いも
のばかりになるとしたら、鳩山首相のような自分を縛るような失敗も恐れない志し高い
発言もどんどんした方がいい、とも言えるんじゃないだろうか。
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