3/8のしゅちょう             文は田島薫

(人生最良の時間について)

世界があり、国があり、学校や会社や病院やその他いろんなものが社会を作ってて、

その中に家庭や個人の生活があり、その個人が生活する、っていうことの目的といっ

たり意味といったことを考えると、なかなか答えが出にくいんだけど、そんな、世界

と自分との関係なんかを考え続けるのが一番楽しいことだ、って哲学者は言う。

世界の現象の仕組みを観察したり実験したりして今まで未知だったことを知って行く

のが楽しい、って学者は言い、未到達だった場所へ行ったり、記録をつくるのが楽し

い、って冒険家やスポーツマンが言う。

自分の理想の表現をもとめてひとつづつ成果を出すことが楽しい、って現実に様々な

物を作る仕事の人は言う。自分の子供をりっぱに育ててその成長を見る、っていうの

も多分この部類かも。

自分の力で今までなかったものを形にしたり、知らなかったことを知る、といった、

大雑把にくくったらその個々の事柄ってものは、全部、創造の喜び、ってことで共通

するように思えるんで、生活の中でどんなことをしていようがその楽しみや喜び、っ

ていったもんはありうるようなんだけど、その個々にやられてる事柄は人々の生命維

持のためのものと、それが保障された後の「余分」なものとに分けられそうだ。

働くことはたいていは、その生活費をかせいだり、社会に奉仕する、ってことだし、

働く会社はその生活のための道具を作ったり、運送やら、情報やらの生活を助けるサ

ービスを与えてその利便性を高めるためだし、学校はそういった生活のための技術を

教える役割が大きいし、病院などはまさに直接的に生命維持の助けをしてる、って風

で、たいていは大きく言って人々の生命維持のためと言えるわけで、芸術家とかスポ

ーツマンとかある種の学者など、直接そういったもんと別な「余分」なことをしてる

者以外の人々の生活の中で生命維持に類する活動に付随する喜び以上のよいことって

なんだろう、って考えてみた。もちろん、そんなこと考える必要はない、付随だろう

がなんだろうが喜びがあればそれがすべてだ、って言われればその通りなんだろうけ

ど、生命維持のための活動ということが中心にあるとすれば、その生命維持はなんの

ため、って考えるのもいいんじゃないかと思ったのだ。

で、とりあえず、やはりそれも楽しみと喜びのため、と仮定してみて、その生命維持

活動に付随しない形のそれ、って、やっぱり、あらゆる遊びや、家族や友人とのひと

時の会話とか、芸術鑑賞や自然鑑賞、ってことになりそうだ、って考えると、思いつ

くのは、春のひと時、桜の下でつどう友人たちとの会話、ってけっこう人生最良の時

間かも、とふと感じてしまったのだ。




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