思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
識者シャンせんせい、祭りの音もただ聴いてるだけじゃありません。
盆踊り考
あやふやな記憶をもとに書くと、江戸には盆踊りがなかった。
なかったというより禁じられていた。それは、地方から流れ込んだ民が盆踊りに集い徒党を組ん
で暴動を起こすことを恐れたためだ。この盆踊りが江戸に復活したのは江戸が東京と名を変え50
年以上経った関東大震災後のことである。帝都復興の景気づけのために江戸幕府と反対に東京市
が奨励したためだった。その後、地方とは異なる「霊性」をもたないイベントとしての盆踊りが
定着した。
ここ首都圏と呼ばれる開拓地も7月の半ばを過ぎるとあちこちに盆踊りのやぐらが組まれ、毎年
変わりばえのしない○○音頭がながれる。
住宅団地と呼ばれる開拓部落単位で行われる盆踊りには本来の土地の人の姿が少ない。それはそ
うだ、その土地には鎮守様があり、土地の人はその祭りを大切にする。ところが開拓民は、本来
の土地の祭りには知らん顔で自分達の貧しいイベントに執着し、「ここを私たちのふるさとにし
ましょう」なんてたわけたことを言っている。
もともと何もないところに住むのなら問題はないが、本来の文化があるところに乗り込み、それ
を破壊して自分達の文化を良しとする習性はどこに原因があるのか。
ひとつ考えられることは、日本人というものは本来侵略性に富んだ民族ではないか。それは、戦
争で侵略した土地に神社を作り強制的に参拝させたことをみてもわかる。もうひとつは、戦後の
歴史教育の貧しさにある。古いものはすべて否定し、新しいものにこそ価値があるという考え方
は、常に落ち着かない社会をつくり、やがてその一部は旧に復するという無駄なエネルギーを必
要とする。このことは、住宅団地で「最近越してきた人は自分たちに非協力的だ」という声を聞
くことで証明される。
今回の政権交代をみても、前政権の政策は全て否定するという浅はかな行為は、結果前政権の轍
をふまざるを得ないという状況を招いた。たとえ政敵であってもその良いところは活かすという
考え方で進めば、無駄なエネルギーと時間を使わないで済む。
いつまでも町会単位で盆踊りをやっている時ではないと思うが。
ベランダでビール片手に、遠く近くに盆踊りの太鼓の音を聴きながら猛暑で傷んだ頭でココ通の
テーマを考えるのは苦痛である。というわけで、来週から夏休みに入ります。