7/27のしゅちょう             文は田島薫

(目標の力について)

ちょっと前に希望の力、ってのを書いたんで似たようなテーマなんだけど、希望の方は、

わりと生活の流れの中での必然というか、ひとりでに生まれて来る期待感のような要素が

大きかったのにくらべ、今回は、意志的な到達目標のようなことを。

意志的な到達目標といっても、そういう意志を持つにはそれに対する欲望は必要だろうか

ら、希望というのとどこが違う、ってことになるんだけど、希望の方が、例えば直接命に

かかわるようなことも含まれたわりあい切実なものだったとして、今回のは、別にそれが

なければ困る、ってほどのことでもない目標について。

なんでそんなことを思ったか、って言うと、先日テレビで、スカイツリーの建設に従事し

ている工場や現場作業員の紹介があったんだけど、毎日びっしり詰まったスケジュールを

これから2年ぐらい(?)続けなけりゃならない彼らが、大変です、って言いながら、う

れしそうな顔をしてたことと、以前にも、画家横尾忠則が滝や二叉路のシリーズの絵を描

くにあたって、そのテーマは直感によるもので、深い意味などない、テーマを決めること

によって絵を描くことに集中できる、何を描くかよりもどう描くかの方が大事なのだ、っ

ていったようなことを言ってたのが印象に残ってたし、私の友人(向こうはそう思ってな

いかも)のなかで最長老の90才ぐらいになる画家は、ずーっと樹木の絵ばかり描いてる、

ってわけで、生活の方法論のヒントにぴんと来たのだ。

よりよく生きる方法、といったことをレクチャーする教師が、ほとんど全員口を合わせて、

目標を立てて努力するとよい、って言う意味は、目標を立てるとそれに意識を集中させや

すい、っていう、いわば当たり前過ぎるようなことで、ここで私が言おうとしてることも

同じことなんだけど、その当たり前過ぎることがどうも面倒な気分にさせられるのは、そ

の目標なり努力なりをイメージした時に、たいてい、金持ちになるだとか、仕事で成功す

るだとか、ってすぐに眠気をもよおすような抽象的な方向へ行ってしまうせいなのかも。

それがもっとなんでもないような具体的なこと、例えば、外国での買い物に不自由のない

だけの英会話を練習する、だとか、源氏物語を読破する、とか、ベランダでトマトを栽培

する、とか、一日一句、俳句を作るとか、何を描いていいのかわからず悩んでいる画家だ

ったら、なんでもいいから適当にモチーフを決めちゃう、ってのが生活を活気づける、マ

ル秘テクニックだったのだ。




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