6/7のしゅちょう 文は田島薫
(自己愛について)
自己愛、って言うと、ナルシズム?、ってことで、なんだかハナから批判の対象になり
そうな言葉なんだけど、多分だれでも自分のことを好きと思うから自分自身を喜ばすこ
とを心がけ、結果楽しく生きられるわけで、自分ぐらいいやなやつはいない、って心か
ら感じていたら生きることが苦しいはずだ。
生まれながらの能天気で、自分のことが大好き、容姿から性格、能力、すべてにおいて
けっこう自分は優れてる、って信じて疑わない人も中にはいるかもしれないけど、たい
ていは、いくつかの劣等感をかかえてて、なんとか人並み以上のものを身につけたい、
って毎日なんらかの努力してる、っていうのが一般人だろう。
そして、人には自分の劣等部分をできるだけ見せないようにし、誉められるような行動
を心がけ、それが成功すると、初めて安心し、自己愛も育つ、ってぐあいで。
でも、それが育ち過ぎて、勘違いが起き、今度は人のことを見下すようなことになって
くると、また人から嫌われ、また自己愛が傷つき、悩む、といった循環とか。
こうなると、やっぱり自己愛、ってもんは曲者ってことになりそうで、じゃ、自己愛な
んてことを意識すんのはよそう、って言っても、意識無意識にかかわらず、それはいつ
も人にくっついてくるもんなのだ。
じゃ、その自己愛とどうつきあえばいいか、って考えると、まず自分の劣等部分につい
て愛してやる、ってことがいいんじゃないかと。
これがあり、それを意識し続けることで、傲慢にもならずに済み、向上心も生まれる、
ってわけだし、よく考えてみれば、その劣等と見えたものも、たとえば、行動がのろい、
といったことであるなら、物事をていねいに慎重にこなす、といった美点があるとか、
細かい自分の行動のひとつひとつや、対象になる物や人の反応をじっくり味わってる、
芸術家の感性があるとか、物事をおおらかに考える大物の器である、とか、の見方もで
きるのだ。
近年、クラシックに歌詞つけてヒットした歌に、“夢を失うよりも悲しいことは、自分
を信じてやれないこと”ってあったけど、自分を信じてやればいいのだ、人がどう言お
うと、まず自分自身の能力をひいきしてあげて、自分を乗せるのがいいのだ
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