思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
シャン先生、相変わらず、物と果てしのない格闘をしております。



ごみ屋敷             

「そろそろ身の周りを片付けたら」と、ここ2〜3年女房殿にせっつかれている。

身の回りといっても女のことではない。ガラクタ、いやお宝のことである。自分の部屋

に置いてあるのだから文句を言うなというと、「あんたが死んだとき片づけるのが大変

だ」とのたまう。こういう問答も「そちらさまの着物が片付いたらこちらも片付けます」

と答えると納まってしまう。

わが部屋を見ると、ところ狭しと物が溢れていて床が1平方メートル以上まとまって見

えるところがない。その三分の二はすぐには要らないものだ。

人は「戦後の物のない時代に育ったから物が捨てられないのでしょう」と言い、女房殿

は、「広い家で育ったからだ」というがそればかりではなさそうだ。


原因は自分のやたらに興味をもつ性格にある。なにかに興味を持つとそれに関係する物を

夢中になって集める。例えば、本を読んでいて何々についてはこの本に詳しいと出ている

と夢中になってその本を探し、また同じようなことに出会うとその本を買ってきてあっと

いうまに本の山ができる。CDでも同じ事で演奏家違い、演奏時期の違いと同じ曲のCDが

何枚あるだろうか。笑ってしまうのは、救心という薬をご存じだろうか。いまは知らない

が立派な桐の箱に入っている。その、桐の箱の出来栄えにほれてしまって捨てられない。

というわけでガラクタ、いやお宝の山ができるという次第だ。


ところが、昨秋床にワックスをかけるので部屋を片付けた。その時、やれひと休みとレコ

ードを聞いたら、残響豊かな実にふくよかな音がする。一瞬、あれっ!と思ったがこれは

すぐに理由がわかった。お宝の山が音を吸収してしまい、クリアーだがやせた音しか出て

いないのだ。このままではせっかくいい音を出すスピーカーに失礼だ!とばかりに猛然と

物を捨てはじめた。おかげで床に2平方メートルの空きができた。


ものごとこれで収まればめでたいのだが世の中そうはいかない。

この正月、近所のガラクタ屋をひやかした。LPが300枚以上積んであり、値段を聞くと

一点200円だという。その戦果は、ビートルズの2枚組アルバム2点。これは最近出た

デジタルリマスター盤よりも自然で良い音がする。ジャズの2点はどちらも新品だった。

専門店ではいくらするだろう。他にクラシックのイギリス盤とドイツ盤。もちろんどちら

も同じものを国内盤で持っているが音の違いが気になってしかたがない。というわけで、

ここ一週間で店先から10枚のLPがわが家に引っ越してきた。

敵も、まわりの年寄りから「もう着ないから」と着物や小物をもらっている。

かくして今年もわがゴミ屋敷は健在である。



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