思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
豆まきもシャン先生のは月並みなもんと違います。
立春
めずらしく雪の節分であった。
豆をまき、鬼に見立てた旧年の邪気をはらうと翌日は立春、新年の到来である。
歳の数だけ豆をたべるとよいことがあることになっている。
土俵の鬼にも豆があたってしまった。
品格というむずかしい言葉を残して鬼は去った。
自動車界の鬼トヨタにも豆があたってしまった。
なぜ、トヨタが鬼かって?
トヨタはカンバン方式発祥の企業である。在庫をもたぬカンバン方式は適正に運営されれば
企業にとって優れた方法であるが現実はどうか。下請けの中小零細企業の血と涙のうえに胡
坐をかいた利潤の追求は、数百万台のリコールという恥ずべきかたちで返ってきた。
選挙の鬼にはかろうじて豆があたらなかった。
リコールもできない民主党政権はいつまでもつだろう。
理屈じゃない。それこそ品格の問題だ。
インターがネットでつながるご時世でも季節の行事は気にかかる。
節分の豆まきも例外ではない。
歳とともに味にこだわる。「値段はいいから美味い豆を買ってきて」と鬼嫁に頼んだ。
「五百円でこれだけよ」。さし出された豆は一合枡にすり切り一杯というところ。
まいた豆を歳の数だけ食べはじめたら、二人分には少し足りない。礼節をもって譲り合った
が歳を忘れた鬼嫁殿の手はのびない。而して、かなりの邪気は年越しとなった。