思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、マスコミの軽薄さに呆れてるようです。
海老蔵、民主党そしてマスコミ
華はあるが特別上手くもない歌舞伎役者市川海老蔵が飲酒のうえでおこした傷害事件が世
間を騒がせている。
とはいっても彼が世間を騒がせているのではなく世間、いやマスコミが勝手に騒いでいる
だけだ。事件にどれほどの意味があって新聞は多くの紙面を、テレビは多くの時間を費や
すのかさっぱりわからない。
新聞は、社会の木鐸であれと自負しているがこの報道のどこに木鐸があるのか。興味本位
の紙面作りに走っている新聞は、もはや公正な報道機関といえず興行の世界に近づいてい
る。テレビはもともと“見られてなんぼ”の興行の世界であるから無理もないが、せめて
ニュースの時間くらいはもっと大事なことに目を向けてほしい。
社会はマスコミという興行師に踊らされている。
民主党もマスコミにあれほど持ち上げられなかったら衆院で過半数の議席が取れたであろ
うか。また、小澤、鳩山、管に続くごたごたもゴシップ以上の報道はなされていない。
これらのことは、民主党にその本質を隠すためにマスコミを操作するほどの技量があるの
であれば天晴れなのだが、とてもそうとは思えない。
海老蔵と民主党の失敗の共通点は、どちらも実力がないくせにマスコミにもてはやされて
己を見誤ったところにある。
もとより大衆は安易なものにとびつきやすい。本質を正しく伝えないマスコミに頼ってい
ると、それは政治の場では民意となり、海老蔵事件ではおかしな道徳感に化けて社会を誤
った方向へ導く。
このような危うい力を持ってしまったマスコミの存在を見直さないと、日本はとんでもな
い所へ行ってしまうだろう。