●連載
がたやま娘のひとりごと      文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

たえちゃん、忘れたいことと忘れなくてよかったこととの交叉を感じてるようだす。



2010山形平和劇場

私はしばしば、原稿を入れるのを忘れる。最近は暑くて忘れる。私がすっかり原稿を入れるの

を忘れると、田島先生から、さすが上手に催促が来る。最近は歳のおかげで、忘れることが上

手になってきている。子供の頃は、記憶力が抜群に良かった。(勉強以外ね!)しかし、忘れない

ということは、必ずしもプラスのことだけではないことも分かってきた。忘れられるなら忘れ

た方が良いことが、大人になるにつれてあるものだ。


65年前以上のこと、今の世の中でどのくらい覚えている人がいるだろう。

今年の夏も、「山形平和劇場」の季節がやってきた。3年前、私も出演した、山形市民で創り

上げる「朗読・劇」の舞台である。今年は私の師匠、ヒロコちゃんが出演するので、「絶対観

にいらしてね!お母さまにもぜひお伝えください!」と熱いラブコールが何度も来た。母と母の

友人、私も友人に声を掛けて、観に行った。


素晴らしい舞台だった。ピアノ曲「月光」と共に話が進んでいった。

今年は若い出演者が多かった。

ストーリーは、元女学校教員だったおばあちゃんの回想からはじまる、ピアノを弾く特攻隊員

さんとの思い出だった。実話に基づくフィクション。もう、最初っから涙が出てくるものだ。

若くして命を落とさなければならなかった青年と、そっくり同じくらいの歳の出演者が、特攻

隊員役なのだ。

特攻の前に親や家族へ向けた手紙。

実際、特攻隊で戦死した青年たちの本物の手紙を朗読したらしい。親を気遣う気持ちでいっぱ

いの言葉が連なっていた。または、今から生まれてくる子供へ向けた、父親の気持ちを込めた

手紙だった。妻への感謝の手紙も朗読された。あちこちからすすり泣きが聞こえていた。今の

同じ歳くらいの青年たちは、そんなことを考えなくてもよい。今や、そういう日本になったの

だ。明日の命の心配などしなくていいのだ。有難いこと、この上ない。

最後には、実際の特攻の場面。私は、泣くとは無しに涙が出ていた。周りのオバチャンはみん

なハンカチを握っていた。頷きながら観ているおじいさんもいた。今の平和があるのは、その

時代を生き抜いてきた人がいるからなのだ、とあらためて思い出した。


その時代のことを知っている人は、私たちの世代なら、ちょうど祖父母の若い頃だろう。直接

話を聞くことができたのが、私たちの世代で最後かもしれない。私は祖父母から戦争の話をた

くさんたくさん聞いた方だと思う。だからこそ、忘れずに語り継いでいきたいのだ。子供の頃

に聞いた話というのは、忘れないものなのだ。


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