思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせいのセンチメンタルジャーニー(大げさです)。
ひちょうざん
「あすかやま」は、こどもの足で30分ほどのところにあった。
いまも昔も桜で有名なところだ。そのころは戦後の荒廃で見る影もなかったが、山あり谷あり、
すぐそばにはいまの東京では想像もつかない音無川の渓谷がつづくその場所はこどもにとって
格好の遊び場であった。しかし、そこで遊ぶたびに、ひとつの恐怖にちかい疑問が頭をはなれ
なかった。
「あすかやま」の正面に都電の停留所があり、「飛鳥山」と書いてある。9歳の神童はこれを
「ひちょうざん」と読んだ。「とぶとりやま」ではなく音読みの「ひちょうざん」と読んだと
ころはさすがに神童である。ともだちは「あすかやま」と呼んでいるのにどうして駅は「ひち
ょうざん」なんだろう。「なんだ、漢字が読めないのか」といわれるのが恥ずかしくて人にも
聞けず、しばらくの間「飛鳥山」と「ひちょうざん」の関係に悩んだものだ。
桜というものは気をそぞろにさせる。だんだん用のない遠出をしなくなるだろうからと、近場
の墨堤や向島は後回しにして飛鳥山に出かけた。
平日のこともあり、満開の桜の下には幼児連れの母親が多い。中でも圧巻だったのは近隣の老
人施設のお花見で、車いすのパレードがすごかった。近年整備され大分姿を変えたが、まだま
だ往時の面影が残る「ひちょうざん」を堪能し、隣接する旧渋沢邸をのぞいてみた。
戦災に焼け残った二棟の建物を見ると、ほんとうの金持ちとはこういうものだということを教
えてくれる。これとくらべるとあくせく働いてようやく億ションを買い、自分は金持ちだと思
う人間が小さくみえる。
崖下にある50年前と少しもかわらぬ飲み屋街をぬけ、これも名所「名主の滝」まで足をのば
した。こどものころは滝の下にあるプールで遊んだ。その後しばらく荒れていたが、いまはき
れいに整備され落ち着いた日本庭園になっている。
落語王子の狐で有名な王子稲荷を横目に帰路についた。
遠目にみる飛鳥山は、ひさしぶりに「ひちょうざん」の恥ずかしさをよみがえらせた。
年年歳歳花相似というが、ほろにがい思い出も変わらないということがわかった一日でありま
した。