4/19のしゅちょう 文は田島薫
(安楽死について)
人はだれでもいずれ死ぬわけなんだけど、自分に限ってそんな日はなかなか来ないよ
うな気がする、ってぐらいふだんはそんなことを考えないで暮らすのもいいだろう。
でも、健康で元気なうちはいいんだけど、自分や親が大病を患ったりすると、死ぬこ
とについてもかなり身近に感じるはずで、それは考えようでは、生きることのありが
たさを確認できるわけだからわるいことではないのだ。
で、健康なうちは多分病人の気持ちはあまりよくわからないわけで、ああやってベッ
ドで寝たきりだと可哀想だなあ、大変そうだなあ、って同情するのはいいとして、全
身がほとんど動かない病人などに、ああやって生きてるのはいやに違いない、って勝
手に決めつけて、安楽死をさせてやりたい、って考える人もけっこういそうだ。
で、当人もそういう状態になったら、生命維持装置をはずしてくれ、って前もって言
ってる場合だったらいいのかもしれないんだけど、そう言ってる時はまだその時では
ないわけで、どこか他人事の気分があるかもしれない。で、いざ、そんな状態になっ
た時、不法だったり順法だったりしても、人工呼吸器をはずした、ってような話がふ
つうに聞かされるんだけど、傍からは植物状態のように見えても当人は意識と感覚が
ある場合もあるようだから、呼吸器はずされると「苦しいんじゃないか」っていつも
思うのだ。呼吸器はずせば死ねるし案楽死だ、って決めつけるのは乱暴なことなんじ
ゃないだろうか。もっと気持ちよく死ねるような方法でやるべきだし、それより前に、
あらゆる手段を尽くして、当人の最終意志を確認する努力も欲しい。
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