4/5のしゅちょう 文は田島薫
(貧乏の幸せについて)
今の世の中、傍から見てどんなに金持ちに見えたって、自分は貧乏だ、って思ってる
人の方が多いかもしれないし、ただ貧乏って言葉でなにか書いても、その受け取り手
には様々のレベルがあるわけで、仮にだれが見ても貧乏だ、って人が読むと、言って
ることが全然甘い、貧乏、ってもんはそんなに生易しいもんじゃないんだ、って言う
かもしれないし、あまり頼りになりそうもない勝手な意見ってことで。
私自身も自分じゃ貧乏って思ってるんだけど、その理由のひとつは驚くほど所得が少
なく、ぜいたく、ってことをする余裕がない、ってこと。だったら、もっとアルバイ
トでもなんでもして働けばいいじゃないか、って言われても、特に高級なものを食べ
たいとかブランドの服を着たいとかの気持ちは全然ないし、むしろ、腹ぺこで食う飯
に納豆といったもんが世界で一番うまい食事だと思ってるし、洗濯されたゆったりと
した綿の服があれば、同じもんをずっと着てても気にならない、ってことで、辛い仕
事を増やして少し余計な金をかせぐより、あいた時間に読書したり、考え事したり、
なにか作ったり描いたり、楽器弾いたり、して過ごす生活に幸せを感じるのだ。
これが、また、働かないでも生活できる金持ちだったとしたら、ついぜいたくなもん
を買ってしまったり、食べてしまい、それに慣れてしまえば、そうでない食事や物は
みなまずかったり、失望を感じるだろうし、常にもっといいもの、もっとおいしいも
の、って欲望が果てしなく続き、しかもたいていは不満足に終わることをくり返すと
いった、空しい時間と労力を使わなければならないだろう。
それに、金があれば知らずにいろいろな物を買ってしまうわけで、物がふえれば、せ
っかくのそれを使ってみることになるわけで、時間がいくらあっても足りないことに
なり、読書のような悠長なことがしにくくなりただ忙しく歳をとってしまうだろう。
それに、なに不自由ない生活をし続ける人は大勢いる貧しい人々の気持ちを本当に理
解することも共感することもできにくいわけだから、従って、人生の感動といったこ
ととは縁遠い、人生の退屈をテーマに生きなければならない。
こう考えると、貧乏であることの幸せにつくづく感謝したくなるのだ。
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