思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
よくばりシャンせんせい、読んで、遊んで、悟って、心配し、怒った。
また、彰義隊?
森まゆみの『彰義隊遺聞』を読んだら彰義隊に逢いたくなった。そこでお花見をかねて「上野
の戦争」を偲びたく、一日上野のお山に遊んだ。
明治革命はほとんど無血革命といってよい。しかし、民意はそう簡単には変わらない。京都を
中心とする関西地域では、鳥羽伏見の戦いで薩長軍の勝利を目の当たりにして政権交代を納得
したであろうが、無血開城の江戸はそうはいかない。そこである種のガス抜きとして彰義隊の
決起をわざと見過ごしたのではないかという説がある。
勝、西郷会談で決まった江戸城明け渡しに不満を抱く分子は大勢いた。そこで二人が考えたこ
とはどこかで武力による勝敗を見せつけなければ民意は納得しないだろうということ。
どうせ上野のお山でドンパチやってもたかがしれている。この戦いには、勝にとっては幕軍も
やることはやったということを、西郷は最新式の兵器の威力を、江戸市民にみせつけられると
いうお互いの利点がある。
この説には歴史上の明確な証拠はないが、勝、西郷ともにこの戦争を止められる立場にあった
のに、そのような行動にでなかったところをみるとあながち誤った推察とは思えない。犠牲に
なった彰義隊士数百名には気の毒だが、少数の犠牲で大局を治めるという高度の政治的判断は
優れたものといえる。「これは革命です」なんて浮かれているどこかの政党とは大違いだ。米
軍基地問題では、あい変わらず沖縄県に犠牲がでる。郵政の昔返りやこども手当等のばらまき
政策では1億2千万の犠牲がでるかもしれない。明確な国家像を示さない悪政で、われわれが
彰義隊にされたのではたまったものではない。
八分咲きの桜の下、焼失した寛永寺大伽藍跡をたどりながら歩いて思った。森さんも江戸っ子
だ。伊達藩の下士を先祖に持つ身としては「官軍」と書くことに抵抗があると本に書いている
が、幕臣を先祖にもつ身としてはこの気持ちよくわかる。もっとも偽錦旗に驚いて江戸に逃げ
帰ってくるような将軍様に仕えていたのだから威張れたものではないが。
しかし、上野公園の西郷像の後ろに隠れるようにして建てられた彰義隊慰霊碑を見て、無性に
腹が立ったことも確かである。