思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
今週もシャン先生、時事の正しい見方考え方を教えてくれてます。


「民」の愚かさ   

精神科医斉藤学が新聞のコラムに『「民」の卑しさ』と題して誰が官を増長させたかを書

いている。

『橋本内閣は小さな政府を目指して省庁再編に踏み切っている。それでも官は「独立行政

法人」などに形を変えながら増殖し続けた。これを許したのは公正な競争を回避して官の

庇護を得ようとする民側の卑しさだ。』と。

字数の少ないコラムなので多くは述べていないが、「官から民へ」を阻害するものは官側

にあるだけではなく官によりかかり楽をしようとする「民」の卑しさにも原因があると言

っている。

国民の多くが卑しいとは思わないが愚かであることは感じられる。その愚かの延長線上に

卑しさがあることは間違いないだろう。

国民の多くが愚かであると言ったがもともと国民が愚かであったわけではない。戦後60

年続いた単一政治が知らぬ間に国民を愚かにしてしまった。


いま、八ッ場ダム建設中止が大きな問題になっている。

計画以来半世紀、建設が決まってから20年、国家に翻弄されつづけた当事者の皆さんに

は心から同情する。一口に50年というが成人にとってはほとんど一生といえる。「おれ

の人生どうしてくれる」という気持ちはよくわかる。しかし、目を他に向けてみるとこの

ような問題は何も八ッ場ダム建設予定地にだけあるのではない。東京都だけをみても80

年いや100年前の都市計画にしばられて身動きできない人が沢山いる。

「ダム工事が中止になれば俺たちは明日から失業だ」と、地元建設業者に悲鳴を上げさせ

るような政治を続けさせた原因の一角には民の愚かさがあると思う。計画以来30年も経

て建設が決定されるということは、火急な必要性ではなく国家100年の計を考えてのこ

とだろう。それは、成田空港と違って土地の強制収用が行われなかったことでもわかる。


そこで提案がある。結論はダム建設続行でも中止でもよい。「おれの人生どうしてくれる」

「無駄な税金を使うな」という考え方だけではなく、あそこに大きな水たまりを作るとい

うことは、50年、100年先に国家にとってどのような意味をもつかをもう一度考えて

もらえないだろうか。

その結論如何によっては後世に語り継がれるものは変わってくるだろう。後年、「このダ

ムは○○の犠牲によって作られた」という碑だけは見たくない。


また、民主党はマニフェストのおかげで政権をとったのではないということを心してもら

いたい。「私達のマニフェストには308議席の重みがある」などとアホなことは言うべ

きではない。このような長期にわたる問題は、「はじめに中止ありき」ではなんの解決に

もならない。308議席の前には300議席の自民党があったということを忘れて事にあ

たると、愚かな「民」主党になることは間違いない。


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