9/7のしゅちょう 文は田島薫
(右へならえの日本文化について)
おふくろが内臓の手術をし、退院後消化のいい食事をする必要があり、病院で出たや
わらかく煮たひやむぎが食べやすくおいしかったって言うので、それを作ってやろう
と、茹で時間を表示より多くしてやってみたのに、いつまで茹でてもコシがあるめん
のまんまで、3倍ぐらいの時間かけてもだめだった。
病院で出されたものは多分特別な商品だったんだろう、スーパーで何種類ものひやむ
ぎのどれもが、コシが強い、といった表示をされてて、それのないものを買って来た
はずなのに。今、めんといえば、コシが強いのがいい、ってテレビのグルメ番組やら、
商品広告やらで問答無用ぐらいの決めつけが横行。巷のうどんやそばを食わせる店は
どこもかしこもそんな店ばかりだし、売られてる商品もそれ一色の様子だ。
こんな流行が横行する前の何十年か前には、やわらかいうどんやそばもたくさんあっ
たはずだし、そんなに人々の味覚が一律に変化するはずはないのに、実際にも人々の
多くがなんとなく、そういった風潮に流されて、それがうまい、ってような気になっ
ちゃってるらしいのだからしょうがない。
とは言っても、そういった軽率な人々ばかりでなく、少数でも何割かの人々はそれに
不満を持ってるはずなのだ。
ま、商売をする方としてはより多数派に受けることを理想とするのは仕方ないのかも
しれないし、売る側の人自身がその多数派と同じ感性ならしょうがないけど、もし、
そうでないのなら、自分の感性と合致する商品を作って売るのが仕事の喜びや価値な
んじゃないのかな。
ま、商売はそんなあまいもんじゃない、って言われるかもしれないけど、私のように、
自分の欲しい商品がなかなか見つからない、って嘆く潜在購買者が沢山いるはずだと
考えたら、そっちの路線の方が競争者も少なく成功しそうだ。もっとも、じゃ、その
商品作り自分でやればいいじゃないか、って言われそうだけど。
だいたい、ズボンの股上が短いのばっかりの服屋しか見つからない現状なんか見ると、
日本人の文化意識は大丈夫なんだろうかと心配しちゃうけど、杞憂なんだろうか。
戻る