10/19のしゅちょう 文は田島薫
(考える楽しさについて)
いきいきと楽しそうに毎日送ってる人と、よぼよぼと辛そうにそれをしてる人がいる
としたら、それはどういった違いによるもんなんだろう。
でも、ま、見かけで楽しそうに見えた人が実は人生をはかなんでたり、逆に辛そうに
見えた人が実は逆境に耐える自分をまんざらでもないと思ったりして、けっこう人生
楽しんでたりすることがあるから、見かけだけではわからない。
とにかく実際に人生楽しんでる人とそうでない人との違いを考えたら、まず、世の中
の見方が楽天的か悲観的か、って違いのように考えられるんだけど、じゃ、楽天的な
考え方の人はすべて人生を楽しんでいるか、って言うと、そりゃ、悲観的な人よりは
その数は多いとしても、すべてがそうとは言い切れないわけで、楽天的なあまり、世
の中の現象やしくみを極端に単純にとらえ、その結果、人生の凡庸さに退屈してしま
うことがあったり、逆に悲観的な人はそれらをとても複雑ととらえ、その辛い現実か
ら目を背ける人々の他に、その本質を追究してやろう、って考え、その作業を悲観の
中で楽しむ人もいたり。
そう考えると、楽観的か悲観的かを超えて、それを楽しむための要素がありそうなん
だけど、それはやっぱり「好奇心を持って考え続ける」ことだ。
好奇心を持てれば世話はないよ、って言う人は、多分自分の持ってる本当の能力に気
がついてない人だ。自分がいままで興味を引かれたことはなんだったか、思い出して
みて、それと同じ嗜好の先輩の話を聞いたり、本を読んだり、わからなかったことを
知ったり、考えたり、実行したり、論争したりケンカ(?)したり、また考えたりし
てるうちに、自分の意識の巾がどんどん広がって行くのに気がつくはずなのだ。
で、その広がる限界は無限大なのだから、そのことに気づいた人は人生にけっして、
退屈したり、はかなんだりはしないもんらしい、ってことが私の敬愛する先輩たちを
見てるとよくわかるのだ。
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