7/21の日記 文は田島薫
スクータ男とロスコと祭の音
3連休もとりたてて変わった生活するわけでもなく、いつもの休日の過ごし方、新聞
や本読んで、テレビ見てギター弾いたわけなんだけど、それでも何かはあったわけで、
無理矢理タイトルのようなことでまとめてみよう。
1日めの前日にスクータ男からメールがあり、明日の昼過ぎにこっちの第2の最寄り
駅で、「CEO」と会うんで昼前にわが家へ寄る、って言うことだったんで、多分、用
が済んだ後、午後また来るつもりなんだろう、って思ってたら、大筋で当たりで、昼
前には来ず、午後になって私が図書館へ行って4時ごろ帰って来たら、居間で当人が
寝ころんでいて、間もなく近況報告などが始まった。
ゆっくりしていっていいように準備もできてたんで、小1時間したら、それを確認、
風呂わかし順に入り、ふだんと同じメニューの夕食を出したら、なんだか、感激して
て、ヒサシブリのコメガウマイ、って要領のわるいホームレスみたいなこと言ってる。
社会的地位も貯金もある男なんで、どうしたんだ、って思ってると、成人病気味なん
で自宅ではいつも麦がたっぷり混ざった飯を食ってるそうだった。
で、2日め、朝のテレビ美術館でマーク・ロスコについてやってて、以前から、おい
おい、ずいぶん手抜きな絵で人騙す画家がいたもんだ、なんて感じてたもんで、あま
り気乗りしないまま見てたら、だんだん見方が変わって来た。
もっとも、作家の高村薫が絶賛しながら、その良さについて語っているのに説得され
た面はあるんだろうけど、じっくり画面を見てると(本物をナマで見たらもっと違っ
たんだろうが)、やはり表現動機の必然性といったものに共感できたし、私自身が専
門のグラフィックデザインでも、ごちゃごちゃと表現過多のコンピュータグラフィッ
クみたいなものより、なにもデザインされてないような、ただの何気ない活字をぱら
ぱらと置いただけのような表現にひかれるところとも共通する気がした。
で、3日め(はしょっとるね〜)、8月に両親のとこへ長期滞在するかもしれないんで、
そっちにインターネットひくについてネットで調べたり問い合わせてみたり申込みの
書き込みしたり電話したりしてたら、工事はやってみるけど場所がへんぴだから通信
不能の可能性もある、ってことだった。そんなことやってる間じゅう、離れた駅の方
からは、ヨサコイ踊り祭りの音がかすかに聴こえていた。