6/1のしゅちょう             文は田島薫

(DNA鑑定と思い込みについて)

20年ほど前、栃木県の足利で幼女が殺害された事件で、体液のDNA鑑定で犯人と

され刑務所に入れられてる人物がいて、それの無罪を主張する弁護団主導で最新の

DNA鑑定をやりなおしたところ、別人のものだと証明された。

事件当時のDNA鑑定では血液型と組み合わせても1000人に1〜2人といった精度だ

ったのが、今や
4兆7000億人に1人といったものになってるそうで、その鑑定結果

には弁護側だけでなく検察側も独自鑑定で同判断が出てるということなんで、即、

釈放になるのかな、って思ってると、検察と弁護双方の意見書を検討した東京高裁

が何週間後かに再審開始するかどうか決める、って手続きを踏むそうだ。

2000年に刑が確定した後2002年にもDNA鑑定の結果をふまえ弁護側は再鑑定を要

求したのに、その時は検察側はそれに応じなかったそうなんだけど、精度が低いと

しても当時では最先端鑑定で結果が出た、ってことで検察側も完全に安心していた

のだろう。しかし、やっと自分の方でも鑑定して結果が出たわけだから、これを否

定することはまさかできないはずだ。

ところがそういった状況を報道していたテレビ局が当時の捜査担当していた警察に

コメントを求めに行ったところ、担当者が、なぜか怒ってるのだ。

自分たちは一生懸命やってたのに、それを批判するとはなんだ、などと言って。

なんでも一生懸命やり、自分たちがそれが正しい結果だと信じていたなら、例え、

実際には、それの結果が間違っていることがわかったとしても、それを訂正する必

要はない、とでも言いたい風。それによって無実の人間が殺人犯の汚名を着せられ

たまま20年も刑務所に閉じ込められていた、ってことに対する感想よりも、自分た

ちに向けられた非難の方が不快だと怒ってるのだ。

たしかに、当時はそのレベルでもDNA鑑定といえば、だれにでも決定的証拠だと思

えたんだろうし、苦労してつかんだ自分たちの判断が正しいと思いたい気持もわか

らないことはないけど、無実の犯人にされた当人が自分だったら、って想像力も欲

しいところだし、結果が間違っていたなら、事実を認め、謝らないないまでも、残

念だったとか、今後はより慎重に行動したい、と言えば、だれもそれ以上、非難な

どすることはないのだから、警察も視野を狭くして自分や仲間の目に見える成果だ

けを主張するような馬鹿げた仕事はもうやめにしてもらいたいもんだ。




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