思いつくまま、気の向くまま
      文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
シャンさん、新年の心構えの仕方を教えてくれました。



今年は良い年

あけましておめでとうございます。

みなさん良い年をお迎えのことと思います。

思わせぶりな神田明神のおみくじは、「吉」でした。

おみくじには、ココ通を書くと罰があたる(笑)と書いてなかったのと、謙虚に人と交われ

とのご託宣があったので、今年も気の向くままにココ通を続けることにしました。

禁煙はどうしたって?除夜の鐘とともに一本くわえていましたね。出来る訳ないでしょ!


良い年といえば、今年くらい良い年はないでしょう。

1946年、1952年に次ぐ良い年です。ご存じのように1946年は、敗戦の翌年。

1952年は、講和発効の年。いずれも日本がゼロからスタートした年です。

しかし、せっかくゼロからスタートしたのに、先の大戦の310余万人の犠牲と引き換え

に国民が手に入れたものは、他人まかせと他人を誹ることです。

政治が悪い、役人が悪い、経営者が悪いと他人の非を唱えるばかりで、63年間掛かって

構築したものは、愚民主主義であって国民も責任をとる民主主義ではありませんでした。


今回の大量失業救済にしても動いたのは小さな団体か篤志の心を持つ一握りの人達です。

教会、寺院を司る宗教団体、貧窮者の味方を標榜する団体、政党が動いたとは寡聞にして

知りません。彼らは、自分達はもっと大きなところで動いていると言うのかもしれません。

が、隣家の火事に、私は消防に通報した、私は消防の出動が遅いのに文句を言った、では

始まりません。バケツ一杯の水を持っていくのが本当ではないでしょうか。

また、愛知県では廃業したモーテルのオーナーが失業で住まいを失ったブラジル人数家族

に部屋を開放しました。役所は人道上その違法性指摘を留保しましたが、地元住民から、

事故が起きたら誰が責任をとるのか法を守るべきだ、との声があがっています。このこと

をどう受け止めたらいいのでしょう。


時は人を得る、といいますが衆院解散を先延ばしした麻生首相、解散に追い込まなかった

民主党小澤代表、ともに時代が必要とした人物かもしれません。

昨年の解散と今年の解散では国民の受け止め方が違うはずです。また、違ってもらわなけ

れば困ります。

敗戦以来危機的な年は数多くありましたが、政治が不毛な時には経済がしっかりしている、

あるいはその逆で、どちらかに頼ってしまい負の継続をしてしまいました。

しかし、今年は違います。政治、経済ともに崩壊してしまった今年こそ、過去にとらわれ

ないで再出発をするのに相応しい良い年といえます。


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