錯視
「鬼は〜そと!」ベランダの下は駐車場からの通路になっている。
「下の人から苦情がこないかな」
「どこの階からまいたかわからないから平気だよ」。
去年も同じ会話をした。以前のマンションはもっと高い所から下の道路へまいていた。
空から降ってきた豆が当たり、知らぬ間に鬼にされた人はどのくらいいるのだろう。
子供の歓声ひとつなく翁と媼の二人でする豆まきは、立春を迎える喜びよりも、あと何回
豆まきができるかということに心が向かう。
まき終わってふと豆を入れた枡を見ると、そこに書いてあるはずの「福」という字が金色
の幾何学模様になっている。いよいよ目がおかしくなったか … と、一瞬ヒヤッとしたが
そうではなかった。
この現象を錯視という。
錯視には、明暗、色彩、幾何学的特性、運動など様々な現象がある。ギリシャ時代には錯
視を意識した建築物が作られ、古くからその現象は知られていた。
錯視は、視覚における錯覚である。網膜に映った不完全な情報を補って、脳に完全な対象
物の像を作り、知覚認識する視覚機能の一部のあらわれであるが、学問的には完全に解明
されていない。
いちばん簡単な錯視は、線の両端に置く三角形の向きによって線の長さが違って見えるこ
とで知られている。(表題下の、枡の写真が曲がって見えるのも錯視です。)
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左の写真を見て、「福」の字が見える人は、一度遠くを
見るように像をぼかすと幾何学模様が見える。
逆に幾何学模様が見える人は、「福」の字が見えるはず
である。また、「福」の字がそこにあると思っただけで
「福」の字が見えるのも、錯視の不思議なところだ。 |
へびのあし
「景気と雇用の回復」と麻生首相が書いても、国民には意味不明の模様に見える。
国民が「早期解散」と書くと、麻生首相には「しっかりやってください」と読める。
これも、不幸な錯視といえる。 |