思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
今回のシャン先生、期待と不安の後は困惑をしてるようです。
新たなる困惑
毎年恒例の清水寺管主の手になる今年の漢字は「新」である。それに似たような意味合いをもつ
アメリカの言葉は「困惑」であった。その違いをぼやくと「日本は神の国だからね」と、わが家
の賢者からすかさず答えが返ってきた。
この神は、もの新たなることを尊ぶ神道のほうの神である。この神は禊をすればすべてを洗い流
してくれる。キリスト教の免罪は、罪は免れるが過去の行跡は残る。嫌なことも悪いことも「新」
という言葉がきれいさっぱりと流し去ってくれる神を頂いて生活ができる日本という国は裕福な
のであろう。
安倍政権以来、今日ただいままで無政府状態でもなんとか国の体をなしていられるということは
豊かな国でなければとてもできない。アメリカはいかに富を誇ろうとも、リーマンショックに続
くオバマ政権のもたつきに「困惑」している。かたや日本は新政権の「新」の字に過大な期待を
かけている。もっともこの「新」の字が選ばれたころはまだ現在の政治的惨状は想像もつかなか
った(本当は想像しなければいけないのだが)のであるが…。
「新」の字に、いままでにない政治の形を求めたわれわれの手元にある「新」政権には、「新た
なる困惑」を与えてくれたほかに何があるというのだろうか。