8/17のしゅちょう 文は田島薫
(向学心について)
きのうの新聞の小さなコラムに、いい表情だな〜、ってだれもが好感を持つよう
な若々しい笑顔の老人の写真と「最高齢小学生89歳で死去」ってタイトルがあ
ったものの受け売り情報と感想。
彼は英国からの独立を目指す武装組織の戦士として育ち貧しさもあってずっと教
育を受けられなかったんだけど、84歳だった04年にケニア政府の初等教育無
料化を知り、お金の計算や聖書を読めるようになりたいと、小学校一年生として
入学して勉強してた。ところが07年末からのケニア暴動で難民キャンプ生活に
なり通学できず、退学の不安を抱えたので、習ったスワヒリ語でケニア赤十字に
手紙を書いたところ、08年にナイロビの老人ホームに入ることができ、そこの
学校へ転校、「死ぬまで勉強する」って喜んだんだけど、間もなく胃がんが判明
翌年の今年、卒業まで1年4ヶ月を残して亡くなった。
学ぶことの喜びを知った人って、年令にかかわらずみんないきいきとしたいい表
情してるのは、多分学ぶってことは人生の喜びの中でも最高に近いことで、論語
にある「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」ってことはきっと
その通りなんだろう。
亡くなった彼はきっとその喜びを知り、幸福な4年ぐらいを過ごし、ひょっとす
るとがんは通学機会が失われる恐れにそれだけ大きなストレスを感じたせいだっ
たかも知れない。でも、そしてまた幸福と希望に満ちたスタートをし、結果燃え
尽きたのだろう。
でも、死ぬ時、彼はそんなには悲しくなかったんじゃないだろうか。
だって、それは避けようがない時があるのだし、学ぶことの喜びはなにをいくら
たくさん身につけたか、っていう量やレベルではなくて、どれだけそれを切望し
てそれをしていたか、っていう進行形の充実度そのもののはずだからだ。
それが証拠に多大の教育を受けたそのへんの物知りの大抵不幸そうな表情よりも
写真の彼の笑顔の幸福そうなことったらないのだ。
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