10/20のしゅちょう 文は田島薫
(生活保障について)
フリーターの兄弟がが病死した母親の遺体をスーツケースに入れて山林に遺棄し、
兄弟ともおわびの死に場所を探して旅に出て、兄の方はそれを実行した。
ふたりの収入が少なく、葬儀をあげる余裕がないことを悲観した行動だったらしい。
こんな事件を、われわれが常識で考えたら、なんでだ?そんなことしなくても、役
所に相談すればなんとかしてもらえるはずで、なんとでもできるじゃないか、って
思うとこなんだけど、いざ当人たちの立場になると、かなりの勇気や忍耐のいるこ
となのかもしれない。
だってわが国の役所の生活支援課などで、例えば仕事がなく生活できないので、生
活保護の申請をしたいと思っても、その困難な現状を無視して、働きなさい、とか
親戚に援助してもらいなさい、とか言って、本来一番大切な国民の福祉、憲法でも
保障しているところの、文化的最低限度の生活をする国民の権利、を軽視し、赤字
財政の中、自分たちの所得や利権工事などにはたっぷり金を回すわりに、福祉予算
の節減、といった本末転倒の目的のために申請用紙さえなかなか出さない傾向があ
るようで、それを申請することに非常な抵抗と屈辱を感じさせる施策をしているの
だ。役人当人こそ国民から集めた税金でいわば高給生活保護を受けてる身だってこ
とを忘れて、上から目線で、あたかも自分のふところからの世話かのような尊大な
態度で。
英国では、生活保護の申請用紙は郵便局などに普通に置かれていて、役人の方が、
国民の困窮を見逃さないように、進んで見張ったり世話したりしてる形だそうで、
あの大ベストセラーで巨万の富を築いた「ハリーポッター」の作者もそれを書いて
た時は普通に生活保護を受けてたそうだから、日本と英国の、政治家や役人の意識
レベルの差は歴然としてて、自民政権そのものの意識の貧困さが出てる体なのだ。
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