10/14のしゅちょう             文は田島薫

(幸福について)

人はだれでも幸福になりたいって生活してるはずで、おれは幸福なんて甘ったれた

もんは大嫌い、不幸が大好き、って人はあんまりいないんじゃないかと思う。

とは言っても幸福って言葉の解釈を広くした場合のことであって、いわゆる平穏無

事、なにも事件が起らない代わりに特におもしろいこともない、って生活より、人

から同情されるような多少苦難があっても、それに立ち向かう、ってことが好きな

んだ、って言えば、不幸が大好き、って言葉も納得がいくわけで、けっきょく当人

がそれをよしとして「楽しめる」ことを幸福と呼べば、やっぱりそれも幸福ってこ

とになる。


人が「楽しめる」ことにはそれぞれの人の価値観なり好みの違いがあるわけだから

その形は色とりどりのはずなんだけど、なんだか、現代においては、とりあえず金

をより多く稼いで、物質的に贅沢をしてる人こそが一番幸福な人、ってみんなが思

ってるんじゃないか、ってほど、声をそろえて、日夜、金金金、って言ってる風に

見える。


金は確かに必要だし、最低限度の生活さえままならない人々もたくさんいて、そう

いった層の救済は個々の責任とばかり言えず、社会構造の歪みから来てることが大

部分なわけで、それは政治の社会福祉政策不足などによるわけだから、社会や自分

にそれを感じたならそれの要求や運動にも意識持ちつつできることをするのがいい

のであって、自分の現状を嘆くだけ、って形だったら、それはただ不幸だろう。


その社会改革意識とは別に本当に自分の望んでる生活はなんだろう、って考えたら、

最低限度の生活のためなら仕方ないけど、より多くの金を稼ぐ、ってだけの目的で、

日夜働いている、って生活が幸福なわけはないだろう。仕事が好きで、目標があっ

て、それに夢中になって、思わず寝食を忘れてしまってる、って生活なら幸福かも

知れないけども。


中小企業の社長をしてる友人は、今いろいろな仕事関係の人々に迷惑かけられない

から、って昼夜休日もなく働きずめしてて、はやく会社を整理して自分の趣味だけ

の生活したい、って10年も前から言ってるんだけど、あんまり金も仕事もない私は

一日自分の好きなことしたり考えたりしてて、幸福を感じるんだけど、さて。




戻る