5/26のしゅちょう             文は田島薫

(見栄の張り合いについて)

さっき、友人が自転車に乗って事務所に遊びに来たんだけど、この友人は物のしくみや

らその材質のクオリティやらをよく理解した職人体質の男で、妥協のないその眼で選ん

だ自転車は20万ぐらいするそうなんだけど、その機能の違いを十分に理解しつつ、毎日

何10キロの距離を走ることを趣味にしてるわけだから、20万も納得できる気がする。

金があって、その機能や価値を理解してるんなら、100万だろうが1億だろうが払うのは

当人の勝手だと思う。じゃ、それを理解してない場合はいけないのか、って言ったら、

それだって勝手といえば勝手なことなんだけど。

彼によると、最近けっこう自転車ブームで仕事リタイアした親父どもでそれを始めるの

が多いようで、金持ってる層は自転車屋に勧められるままに、例えばペダルと足を固定

する機能のついた高級車などを、外す技術がないのに買い、車道で止まれず転びそうに

なったり、危険な場合もある、と。

レーサーでもないのにどこでその機能を使うんだ、って程のハイパワ−エンジンの乗用

車なんかも、それを理解して、運転技術でそのパワーの余裕の部分を十分味わえる、っ

てことならいいけど、理解や技術がないまま、何かのきっかけに例えばアクセル践み過

ぎてコントロール不能になるなら危険だろう。

高級品ってものは、普通、高級って言われるだけの根拠なりがあって作られているもん

なんで、いいものはやっぱりいい、って本当はそれの意味を十分わかってないのに言う、

人々、一生、それを使いこなすことも使う技術も使う環境にもいない人間のために提供

される高機能も、命の危険がないなら、好きにすればいいんじゃないか、とも言えるん

だけど、宝の持ち腐れってもんだし、それらが文化だと考えている国の人々からは尊敬

はされないだろう。

車なんかでも、新型が出ると自分が今使っている車に不具合がなくても、すぐに買い替

えないと肩身がせまい、って感じたり、それを見逃さない商人たち。

で、そうやって買った車を大事にするのはいいんだけど、はずみでだれかにちょっとボ

ディに傷つけられただけで大騒ぎで怒ったりで、小金持ってても、しょせん成り金ばか

りのわが国、貧乏くさいったらありゃしない。

となりを横目で見ちゃ、そっちより高いもんを買おう、って日夜体や精神をこわすほど

仕事に励んじゃったりだけじゃ、見せ掛けばかりが横行する文化後進国だ。

車は人を運ぶ道具だ、ってことで、ボロ車に、常に必要なチューンアップや手入れを心

がけるドライバーとか、拾ってきたようなボロギターですごい演奏しちゃうギタリスト、

ってのが本当はいつでも一番かっこいい世界標準なのだ。




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