5/19のしゅちょう             文は田島薫

(卑怯ものについて)

時代劇なんかの戦いの場面で、形勢不利と見て逃げ出す相手に対してよくこの言葉が使

われるんだけど、封建制度の下では、主君の下で働く者は絶対服従が美徳と教育される

ものだから、こんな場合のこれも軽蔑される怖れがあるってことで、命に変えてでも避

けたいという人間も沢山いたんだろうとしても、客観的冷静に見れば、こんなのは、相

手から見れば、あ、しまった、勝利もらったと思ってたのに、ずるいな〜、ってぐらい

の意味で、逃げるが勝ちともいえるようなことなんであって、そんなものと違って、私

なら心から軽蔑を込めて卑怯ものだ、って言えるものは別にある。

それは、保証された自分の立場の優位さを利用して、反撃力の弱い者の弱味に付け込ん

で、それをいたぶる、って場合だ。

相手が自分より強い相手にはぺこぺこ、逆の立場だと、急にえばりだす輩などがよくす

る行為なんだけど、これはもう、子供の頃から、人を押し退けてわれ先に進学競争など

を勝ち抜いたものがエライ、っていった短絡的な教育の弊害からも来てて、子供同士の

遊びの中での争いや葛藤や孤立や友情の交流といったものの中で育つような、人の感情

を想像したり共感する力などの社会性の欠如のため頻発する陰湿なイジメと同じだ。


体の弱ったホームレスを集団でおもしろ半分に襲撃する子供や、先日は、人に慣れてい

た白鳥を何羽も棒で撲殺した子供が、殺すのが楽しかった、って言っていた、って報道

があったけど、これなど、卑怯ものの極みで、教育教育、って言っちゃ、そんな馬鹿頭

の子供から大人までを育てるのが日本の教育界の現状なのだ。


「国家の品格」って売れた本があったのを立ち読みしたんだけど、日本だけが特別りっ

ぱな国だ、ってような妙な愛国心をくすぐる記述はいただけなかったけど、卑怯、って

ことの本質(?)はきちんと伝えているようにも感じた。

人が本当の卑怯の恥について学ぶことは必要で、それには勉強だけじゃ不足なのだ。




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