●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの快調新シリーズ12回めです。


シリーズ 世にも短い物語

名前


私の名前は“いつか”。まったく変な名前である。両親に口をとがらせて聞いたことが

あった。

「なんでこんなあいまいな名前をつけたのよ」

「いい名前じゃないか。いつか何かをやらかすぞ、悩んでもいつかは解決するぞ、不幸

になってもいつかは幸せになるぞ、って、希望につながるじゃないか」

というのが、父の答えだった。

「それならもっと“のぞみ”みたいには単刀直入で明快な名前をつけてくれればいいの

に・・・」

釈然としない私は言い返す。

「それではあまりにもあからさまで名前負けしてしまう恐れがあるでしょ。暗示をする

くらいでちょうどいいの」母が言う。

「でもさ、いつかは、いつかはって気を持たせておいてそのいつかがぺしゃってしまう

場合だってあるじゃん」

私は言い返す。

「それはお前が悪い。名前のせいじゃない」

父が決め付けるように言った。

私はクラスの名簿をつらつら眺めてみた。

明美、敬子、早苗、愛子、綾香、美穂・・・

皆、親の愛を感じさせる可愛く、美しい名が並ぶ。その中に今日子、未来子というのが

あって、おや、と思った。

今日と未来、ともに時を表している。私と同類じゃん、と思った。でも、あいまいさは

微塵もなくきっぱりしている。

「今日という日を大切に」

「あなた方には大きな未来がある」

校長先生の訓示によく出てくる言葉だ。それじゃあ、いつかはどうなんだ? いつかは

考える。

自分の将来を決めなければならない時期なのに何も決められない。いつか、いつか、と

なんでも先送りをする自分にイライラする。もしかして私ってニンジンを目の前にぶら

さげて走る馬のようにゴールのない人生を送るのかなあ。

子供にとって、名前って意外と気になるものなのだ。自分の存在証明みたいに・・・


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