3/24のしゅちょう             文は田島薫


(いいかげんのよさについて)

新聞に「いいかげんのすすめ」って本の広告が出てて、なるほど、そうだ、って

感じたもんで、便乗して考えてみた。


われわれは子供のころから、正しいことをきちんとしなさい、とか、はきはきし

た意見や行動をしなさいとか、なまけないで勤勉に勉強や仕事をしなさい、とか

言われて来たわけだけど、だれを見ても気持の乗らないことをやるのはなかなか

大変そうだし、どんな情況やどんなものごとでもいつもきちんとやれる、って人

は少ないはずだ。

それでも努力して、それを成し遂げた人は、エライ尊敬すべき人ってことになる

のだろうけど、その人の「きちんとした正しいこと」ってものを疑問なしに受け

入れちゃう、って部分が弱点になる可能性が多々あるのだ。

物事にはいろいろな面があるわけで、ひとつの判断をした時には、ある条件下の

その物事の一側面の真理を見た、ってだけのことで、その別な側面は無視されて

いるわけだし、判断そのものも時代とともに変わる価値観もある。

漠然としてても、その当人にとってはとても好きでやってみたいと感じているよ

うな事が、あらかじめ決められた価値観で潰されたり、一生懸命努力していい大

学を出て高級役人になった人が、法律に縛られただけの、一般人からみたら非常

に馬鹿げた理屈だけで物事を処理してて、自分の馬鹿さに全然気づかず、却って、

自分の言うことが受け入れられない時は、反論する庶民の頭脳が劣ってるせいだ、

って決めつけて疑わない、って例とか。

よく、仕事上の意見の対立とか、討論会で、自分の立場からの意見を感情的にな

って頑に主張する人がいるけど、そういった自分の弱点に気づいてない人だ。


物事に、正しいとか、こうあるべきだ、って考えたり主張する時には、これは、

自分が挙げた条件の中のみで有効なことで、条件が変われば、逆の意見の可能性

もある、って心構えがいるのだ。

例えばどんな小さなことにも、いいわるいの判断をつけなければ気が済まない性

格の人がいたとすると、いろんな情況なり他人からの異論などによって、始終、

不満やら不安やらのストレスを抱えることになるわけだから、できるだけ大局を

見ることにして、小さなことには、ただ「自分の趣味趣向」が働いてるだけだ、

って考えそれを実行するにしても、人からは受け入れられない場合があるのは、

当り前のことなんだ、って気にしないのがいいのだ。




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