3/10の日記 文は田島薫
高橋尚子と小田実
土曜日はサッカーJリーグ開幕、アジアチャンピオンわが浦和レッズ対横浜マリノス
のゲームがあったんで、珍しく昼間なのに軽く発砲酒で祝いながらテレビ観戦したん
だけど、気っぷのいいレッズはマリノスに花を持たせた。
翌日の日曜はすごくいい天気だったんだけど、どういうわけかあまり気分がすぐれな
いもんで、きょうは外へは出ないで(いつもだけど)、名古屋女子マラソンでも見る
か、って、高橋尚子が優勝宣言してるのも、どうなんだろう、って興味もあったし。
で、今度は発砲酒はやめにして紅茶なんか飲みながら見てると、いつものことだけど、
マラソン中継、って単調なもんで、つい、ギター出したり、本出したりして、弾いた
り読んだりしながら、時々画面に目をやる、って形になる。
しばらくすると、大勢に期待と応援されながら勝利宣言もしてたはずのキューちゃん、
早くも先頭集団から脱落しておいてきぼりになって走っていた。
で、けっきょく優勝どころか、27位とかになっちゃったわけだけど、最後まで棄権を
せずに走り抜けた彼女は、考えてみたら相当えらい、って感じた。
ま、自分の限界を自覚してない、って非難されるかもしれないけど、すでに一度オリ
ンピックで金メダル取ってるわけだから、もうやる必要はないはずなのに、走りたい、
って気持と自分の力を最後まで確認したい、って生き方は当人の自由だし、本当に走
ることが好きなんだ、って純粋なメッセージは人の心に響くだろう。
図書館行って、その場運動して風呂入って、夜は一杯やって、テレビで小田実の記録
を見たら、高橋尚子とも共通する彼の生き方に感じ入った。
大阪空襲の体験から、爆撃される側の地獄と爆撃する側の無自覚を糾弾する立場での
ベ平連活動から、最近の9.11以降のわが国の米国追従政策や改憲策動に反対する運動
や執筆活動を去年の夏、末期癌の病床で逝くまで、投げ出さずに平静に続けたのだ。