12/1の日記 文は田島薫
いちご白書
土曜の夜はテレビで深夜やってたのを留守録しておいた映画「いちご白書」を見た。
これは多分学生のころ見たはずなんだけど、その時の印象では、私が経験した学生運
動の時の様々な思いや葛藤と比べ、主人公たちのそれが随分幼い気がして、ほとんど
感情移入できなくて、ただ中で使われてたニール・ヤングのスローロックサウンドの
のかっこよさだけにノックアウトされてた。
それで、彼の「ハート・オブ・ゴールド」のチャートヒットなんかも連動してその後
大ファンとして、初来日の時は同じ思いの友人に誘われ武道館コンサートへ2度行っ
たり、来日のたんびにコンサート行ったりアルバムが出ると即買いしたりしてた。
で、今回も録画しておいて、そのニール・ヤングの部分だけ確認しようと思ってただ
けなんだけど、バフィー・セントメリーの歌う「サークルゲーム」が大好きだったっ
て同居人も見たい、って言うんで、じゃ、そーすっか、ってショーチューと干し納豆
を準備してから一緒にまた全編見てしまった。
見ると、やっぱり全体が、その頃の印象とさほど変わらないにしても、今の私から見
ればしっかり子供そのものの主人公に、余裕持って、子供ってこういうつっぱりする
んだよね、可愛いね〜、って感じで、監督が表現したい、シャレのような部分も反感
なしに楽しめる気がした。
多分最初見た当時は、自分自身つっぱってて、監督の同じ意図を一応理解してても、
笑ったり楽しんだりする余裕があんまりなかったんだろう。
今聴いても、そこでのニール・ヤングの曲はきっちりシリアスで、その頃の私の心情
とピッタリ合致してたんだけど、余裕もった今の目で見ると、サークルゲームや、グ
ラハム・ナッシュの優しい曲の方がその映画の主題にはピッタリなんだな、って感じ
て、結局、そのころでもニ−ルの曲の主題と映画の主題のギャップが、私の違和感と
不満を広げた原因だったようだけど、よく考えれば、自分の方はシリアスだった、っ
て思ってる私も外から見たらあの主人公と同じだし、あの主人公も現実にいたとして、
自分はシリアスだったって思ってる、ってことなんだろう。