ぼけのたわごと         文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


大変お待たせいたしました。
大好評だった酩酊放談のシャンせんせい、装い新たに復活しました。
シャンさん、昔の情緒のよさを若者にも伝えたい、って言ってます。



羽子板市

十七日から、浅草寺羽子板市がはじまる。

羽子板は、「邪気を跳ね返す板」として女の子の成長を願う縁起物だったようだが、

今は、女の子が邪気を跳ね返すほど元気がいい。

そのせいかどうかはわからないが最近の羽子板市は風物というより、ファツションの

ようになっている。売っている羽子板もただきらびやかなだけで、売り手も背広に法

被では味がなくなった。昔ながらの役者絵もあるが出来がさびしい。お笑い芸人、時

には政治家なんてものもある。どうも情緒というものがなくなった。

最近は江戸回顧とかでテーマパークまがいの街角があちこちに作られているが、形ば

かりで中身がない。役者のようにとってつけたべらんめぇ言葉を使っても、下手な芝

居よりおもしろくない。



今回の写真を選んでいたら、35年前のものが見つかった。

どうです売り手のおじさんの顔のいいこと、志ん生みたいでしょ。これが江戸っ子の

顔というものです。羽子板の役者絵も今の物とは大違い、絵がシャッキリとしている。

こういう道具立てなしに、江戸だ、江戸だといわれても困ってしまう。


「年寄りは、すぐ昔は良かったというが、未来のことを考えなさいよ」とよく言われ

るがこれは少し違うと思う。未来なんていうものは、自分が生きている間は放ってお

いてもやってくる。自分の居ない未来のことはその時生きている人達が作ればいい。

若者が過去に興味をもつ以上、その昔の片鱗でも知っていることは幸せなことだと感

じる。

昔と今とどっちが良かったか、と小生の知人に聞いたことがある。

「そりゃ今の方がいい。こんなに遊ぶものがたくさんあるもの。わたしたちの頃は遊

ぶものがなくて仕方なく勉強した」と、煙にまかれた。この人、大新聞の記者をして

いた大正生まれの風流人である。


ゆく秋の また旅人と 呼ばれけり    子規


戻る