●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
シリーズ15回め。目出たいもん巡りはやっぱり楽しそうです。


シリーズ リポーター奮闘記

普段着の神仏


12月になると思い出すことがある。

それは新年号の特集記事、港北区七福神巡りの取材だ。無信心の私はとにかく簡単に縁

起を聞いてさっさと実物の写真を撮って、手早く済まそうと地図を頼りに弁財天、大黒

天、福禄寿、恵比寿、毘沙門天、寿老神、布袋尊すべてを車で回った。


12月といえば、世俗の社会は忙しいが神様にとってはもっとも閑な時期。安置まします

お寺の境内は静かで、風にくるくる枯葉が舞ったりしていかにも侘しい風情。訪れる人

もいないので大抵ぴっちり戸が閉まっている。

インターホンか、呼び鈴か、大声を出すかはお寺の開放度の違い。応対に顔を出す人も

さまざまで、ときにはまったくくつろいだ半纏姿やセーター姿の住職本人が出てきたり

して、あの荘厳なる読経のときのオーラはまったくない。おまけに戸を開けた途端、な

にやら奥から煮物の匂いがしたりすると、あれっ、いけないときにお邪魔したかなとバ

ツ悪く思ったりした。

おずおずと来意を告げるとあからさまに面倒くさそうにする人もいたが、良い暇つぶし

ができたって顔をして招じ入れてくれる人もいた。

本堂に自分で撮った趣味の写真を額に収め、ズラリと飾ってあるお坊さん。

お目当ての神様そっちのけで重要文化財のお宝自慢に余念のないお坊さん。

「わが槌は打ち出す槌、のらくら者の頭も打つ槌なるぞ。コツコツたゆまず働けよ。米

一粒一粒も積もれば山となる」ユーモアたっぷりにお説教をしたお坊さん。

「我が寺はその昔、西に富士の秀峰、東に鶴見川の入り江、あたり山いっぱいに咲き乱

れる野菊の群れの中に建立された念仏の道場なり」と美文調に寺一帯の昔の風景と歴史

を語るお坊さん。

みな普段着の神仏は個性豊かで面白い。そして感心したことは、七福神の多くは過去ま

たは現在の住職自らが彫り、心魂込めた作品なのであった。


それにしても七福神がご本尊の仏さまの隣にでかい顔して居座り、神仏同居なんて日本

っていい加減というか、おおらかというか不思議な国である。


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