9/3の主張 文は田島薫
(朝青龍問題について)
横綱朝青龍が仮病を使って興行をさぼった、って疑いで、相撲協会はじめ、各界
でいろんな人があーだこーだ騒いで、相撲協会は謹慎処分の決定をした後も、当
人の不満が伝えられ、それに対して相変わらずの批判やら同情が寄せられている。
相撲協会の原則論的言い分は一理あるのだけど、そもそもわが国の国技に、人材
が不足してる、ってことで、他国からの人材招致したわけだから、いくら日本人
と同じ精神的自覚を持つべきだって教育したとしても、元々国民性の違う人間に
いわば泥縄的に行われたものなわけだから限界はあるだろう。
それに、横綱は、力士の頂点の地位なわけで、心技体がそなわったもの、って事
になってるわけなのに、って批判したり、叱ったり、ってその形そのものが、横
綱、ってものに対する敬意というものが見えなくなる。
相撲協会がそれを指導できる立場だと考えるなら、横綱は相撲協会より下の立場、
言ってみれば、従業員のようなイメージになってしまうではないか。
いくら相撲協会が相撲を管理してると言っても、横綱は現役の最強の力士であり、
相撲協会といえどもそれを尊敬する、って形が美しいんじゃないだろうか。
力士といえども、生身のスポーツマンであり、自分の体や精神の管理は自分でや
らなけりゃならない、って考えたら、少しの建前上の言い訳もいいじゃないか。
相撲の精神性をかざして、現役横綱を叱りつける権利をもった絶対精神性を持っ
た人物たちばかりなんだろうか、相撲協会は。
批判してた石原都知事もそういったりっぱな人物なんだろうか。
批判した一般の人々も自分の精神性に自信があるのかな。
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