9/25のしゅちょう             文は田島薫


(こころのよゆうについて)

このコラム、「きょうの主張」、って言って、その「主張」って言葉は、例えば、

「青年の主張」ってようなもんのパロディのようなつもりで、少し冗談でつけて

始めたんだけど、知らないうちに「主張」って言葉に引きずられ、生真面目に上

の方からものを言ってるようにしか見えなくなって来てるようで、それだと、馬

鹿頭が前面に出過ぎ、反発を感じる人も増えたりして、説得力がなくなる気がす

るので、きょうから「しゅちょう」に変えます。


で、きょうのテーマは「こころのよゆう」ってことにしたもんで、ピッタリと、

タイミングもいい。


ま、よく言われることだけど、日本人はそれも特に東京人は、電車乗ってても、

道歩いてても、いつもセカセカ急いでる、って。

私なんかも、知らないうちにそういった人種になっていて、例えば、電車の改札

や切符売り場などで前の人がぐずぐずしてたりすると、イライラして、前もって

定期なり、金なりを出せよ〜、ってなことを、「主張」に書いちゃったりもあり

うるとこだったんだけど、先日新聞のコラムで、それについて外国の例を出して

ぐずぐず、を許す心のゆとりを持とう、ってのを読み、目からウロコが少し落ち

た気がしたのだ。


日本人は飛行機を降りる時、出口に向かって客が並んでる時に、棚から早めに荷

物を下ろすのは当然と考えているんだけど、海外では、自分が動く番になってか

らゆっくりと下ろす人が多いそうで、それをだれもが当然のように感じてるそう

なんだけど、日本人のほとんどはそれを聞いても、早めに下ろした方が時間の節

約になってよっぽどいいだろうに、ってなかなか納得しないんじゃないだろうか。


しかし、冷静に考えてみると、いつも急いで時間を効率よく使う、って言って、

例えば遊びに行った場所で、そんなに一刻を争う必要や効果があるだろうか。

例えば旅先で、日本人は楽しむための時間を欧米人よりも有効に使ってる、って

言い切れるだろうか。

だって、例えば旅の楽しみは、目的地なりにより早く着く、ってことより、その

途中での人と人との袖触れあいのようなことも大きな愉しみのはずだし、そのた

めにはぐずぐずする方がいいことも多いだろう、って。




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