●連載 がたやま娘のひとりごと      文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

スーパーチャレンジャーたえちゃん、きょうはゴスペルだす。


フタヲしていた感覚

数ヶ月前からゴスペルを習い始めました。

切支丹でもないし、特にジーザスを愛する者でもないのですが、独特のハーモニーと

楽しさに惹かれて。

楽譜を渡され、実際に歌ってみると「コノ音符の音がワカリマセン」。そして自分が

何の音を出して歌っているかなど、サッパリ分からないのだ。残念ながら絶対音感は

持っていないけれど、父も母も音楽をやっていたし、子供の頃は地元の少年少女合唱

団に入っていたり、エレクトーン(懐かしい!)を習っていたり、吹奏楽部に入って

いたりしたから、少しはナントカなっていたはずなのに。ヘ音記号だってナントカ読

んでいたし、シャープやフラットが付いている楽譜だってナントカ演奏していたはず

だったし、バンドもやったことがあったのに。アタシっていう人は何じゃコリャと思

いながらスタートした。

でも、習っている楽曲はそんなに難しくないし、先生も「歌って楽しいことが一番!」

って感じの先生なので、リラックスしてレッスンしている。

そんで、今度ライブを行うことを目標にして練習を始めている。こないだのレッスン

であんまり乗らなかったので、先生が「歌ってさ、音符が合ってるとかも大事だしコ

レが正解って求める人もいるけど、それは私たちじゃなくても良いの。無表情で歌っ

てても楽しくならないじゃん。自分からどんどん楽しんで良いんだよ!」と言われ、

そりゃそうだと思った。そしてもう一度歌い始めたら、とってもハジけた人がいたの

でピピンときた。

楽しく歌うってなんて素晴らしいんだろうって思った。でも、それと同時に恥ずかし

さの感覚も湧いてきた。ワクワクのココロの上に、いつも能のお面を被せている自分

に気がついた。そのお面をとっぱらったら、自分はどうしてどうなっちゃうんだろう

って感じた。

たいていの人も同じだと思う。

今は恥ずかしくてとっぱらうことができないけど、何だかもうすぐとっぱらえるよう

になるんじゃないか、そしてもっとココロが自由になるんじゃないかと感じた。


戻る