5/21の主張             文は田島薫



(創造的生活について)

われわれは毎日生活してるわけだけど、同じようなことを繰り返して、何がおもし

ろいのかわからないけど、とりあえず、いろいろ責任があるから、しんどいけど、

我慢して頑張ってるんだ、って人も多いのかも知れない。

そうは言っても、健康なら働いて腹をすかせ食べる粗食もおいしく感じたり、例え

ば成長して行く子供を眺めたり、ささやかでも楽しいことがあるから頑張れる、っ

てことなんだろう。

で、人生で楽しいこと、ってどういうことかな、って考えると、自分にしかできな

い事をしている実感とか、それを他人に伝えることとか、ってことになると思うん

だけど、それで一番わかりやすい形ってのは人との会話じゃないのかな、ご婦人方

だっていろんな場所で話に花咲かせてる時は本当に楽しそうだし、紳士たちだって

居酒屋に行く目的は酒を飲むことより、仲間との会話の楽しさだろう。

自分は世界や物事にこういうふうにかかわってこういうふうに捉えてるよ、って伝

え合うのが楽しいわけで、それで自分と違うはずの他人が自分と共通の感じ方や考

えを持ってる、って知った時も、他人と自分が同じになるわけでなく、つながりを

感じてうれしくなるのだろう。


で、人が生きてて最大の喜びがこういったコミュニケーション、ってことだとする

と、そういったことができなくなった人は非常に不幸なはずだ。

今朝の新聞に体が指1本動かせない病気の夫に、コミュニケーションの方法を見つ

けて、会話を可能にさせた妻の話があった。

妻は目を開けたままベッドで動かない夫に心の扉をたたき続けた、って。

ある時、「イエスなら目玉を上へ、ノーなら下へ」と伝えたら反応があった、って。

で、半年の試行錯誤の末、50音アカサタナの行を読み上げ、行が決まると、サシス

セソ、それを1語づつ音を拾って行く。

第1声は「マイニチ トウモ アリカトウ」、妻は泣いた、って。

この妻はすごく想像力と創造力の人だ。

しかし、それを可能にしたのは、夫とコミュニケーションしたいさせたい、って心

の強さだったはずだ、人の存在価値のうちで最も魅力的なものである想像力と創造

力を発揮するのはそういう心の動きの中にあるんだろう。

多分、空しく見える日常の中に自己の存在と喜びを実感できる驚くほどの創造の可

能性がいくつも潜んで、それの第一発見者を待っているのだ。

われわれも、世の中の物事がみな決まり切っていて自分でそれを変えることなんか

できっこない、って決めつけないで、常に創造の意識を磨きたいもんだ。




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