5/8の主張             文は田島薫



(続・憲法カイセイについて)

憲法改正を目指して安倍自民党主導の元、宣伝やら各界からの賛成意見など

も多く出だしたりして、一般国民の気持も揺れてるようだ。

憲法改正、いいじゃないか、時代にそぐわない部分は修正することになんの

問題もないだろう、って言われれば、そりゃそうだ、って気にもなる。

安倍総理の言う、「美しい国へ」、憲法だって占領国が作ったものなんだか

ら、自国によって改正するのは独立国家としての当然必要なことだ、戦後レ

ジームからの脱却だ、って言われれば、そりゃそうだ、って。


だけど、そんな感情的な一種の国家ナルシズムのような根拠だけで、憲法改

正といった大胆なことやっちゃっていいもんだろうか。

自衛隊が明らかに軍隊なんだから、それを憲法で明記すれば日本の将来は明

るいのか?米国への攻撃に対しても日本が軍事反撃できる集団的自衛権を認

めることを明記すれば日本の将来は明るくなるのか?

改正論者は、9条の戦争放棄の項目を削除するわけじゃなく、ただ自衛のた

めの軍隊の動きに支障がないようにするだけだ、って言うのを聞くと、平和

憲法を変えるわけじゃないんだったら、そっちの方が現実的かもな〜、って

気になる一般国民もいるだろう。

しかし、よく考えてみると、軍隊持って、集団的自衛権を明記しちゃったら、

平和憲法の「魂」が抜けちゃうのだ。

だって、どこの国だって、戦争をめざして攻撃する軍隊を保持します、って

言ってる国はないわけだから、結局、世界に誇る、唯一敬意を喚起してもら

える本当の意味での平和憲法を普通の憲法に変えちゃう、ってことなのだ。


そう言うと、国際関係ってのは現実的なものなんだから、普通でいいんだ、

なんて改正論者は開き直るかも知れない。

で、もし、それを支持するなら、結局現実的に力を持った米国に引きずられ

たまま、知らないうちにイラク戦争のような世界的視野で不公正なものにず

るずると加担していって、今までの平和主義の中立的立場から、敵国を作っ

て行く立場に変わる、ってことになるけど、それでいいんだろうか。


そんな目先のつまらない根拠で憲法改正を叫ぶ前に、平和憲法をより具体的

な世界貢献に向けた形にする施策を研究する方がよっぽど日本と世界の将来

のためになるんじゃないのかな。




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