●連載 がたやま娘のひとりごと      文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

たえちゃん、海外ひとり旅行行って来ただす。みやげ話その1。


コップンカ旅 1

ドアを開けると、そこはバスタブの無いバスルームだった。

ここは、私が2週間生活すると決めた部屋である。

タイはプーケット。世界的なリゾート地。数年前のスマトラ沖地震で、大変

な被害が出た場所、と言えばお分かりになる方も多いでしょう。

私の人生が終わりを迎える時「何をしなかったら後悔するか?」と自分自身

に問い続けて出た答えが「少しの期間でも良いから、海外で生活をしてみる

こと」だった。ボンクラだった学生時代、アメリカやイギリスへの留学話が

あったけれども、それまでボサッと生きてきた私は、みすみすチャンスを逃

しっぱなしだった。亡き父親は「長男だから」という昔ながらの理由で祖父

に大反対され、インド留学を泣く泣く諦めたという話も聞いていた。


なぜ結婚してから行くのか?と聞かれても、それは今が自分にとっての最善

の時期だったんじゃないの、という答え。若い時期の留学をあきらめ、カイ

シャインになってからも姉妹都市のホームステイ研修や、ボランテイアなど

を続け、留学の資料請求や、スカラーシップなどの情報収集もしてみた。そ

してスキあらばいつの日か海を渡ろうと地味に希望を持ち続けてきた。

私の「夢の叶え場所」にプーケットを選んだのは、物価が安いから。日本か

らもそう遠くない。また、感性豊かな友人であるミヤシタと一度観光で行っ

たことがあり、良い思い出の場所だった。比較的治安も良く、食べ物がおい

しい。スマトラ沖地震で被害が大きかったらしいが、現在はすっかり復興し

ている。使用言語は主にタイ語だが、国際的リゾート地なのである程度は英

語が通じる。

15年前は反対したくせに、私の母は今回「あらーいーわねー」ってくらい

で、何も言わなかった。義母はお餞別まで下さった。ありがたい話である。

夫は…何を言ったかよく覚えていないが、私は気持ちよく日本を飛び発った

ので、少なくとも反対はしていなかったのだろう。ありがたやありがたや我

が家族。

バンコクで乗り継ぎがあることを知り、衝撃。新しくなってトラブル続きだ

った国際空港。あそこで乗り継ぎかと考えたら、ひとりぼっちの旅の私は憂

鬱になった。同じ便なのに何故に飛行機が違うんだよ…と思いながらてくて

く歩いて、歩きすぎたので迷ったかと不安になる頃、乗り継ぎゲートに着い

た。飛行機の隣の席は、欧米新聞青年。窓側の席なので新聞をバサバサして

もらうと、通路側の私には何も見えないのだよ、チミ。機内では飲み物と意

外とおいしいスナックが配給された。そのうち、欧米新聞青年は上を向いて

口を開けて寝てしまった。コヤツ、英語が母国語でいいなぁ、とボケーっと

思っていたらもう着いた。バンコクからおよそ1時間ほど。


※「コップンカ」というのは、タイ語で「ありがとう」という意味です。


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