●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、取材データからの新シリーズ10回目です。


シリーズ問わず語り●宮大工

とにかく子供の頃から木工が好きでね、いつも板切れと釘ととんかちで何かを作って

いた。生まれた家が材木商だったから身近にいくらでも材木のきれっぱしがあったわ

けですよ。中学生の時は結構立派な鳥小屋を作り、皆をあっといわせたね。そんな体

験から将来大工になりたい、どうせならもっと難しい宮大工になろうと決めたんです。

今思うに、自分の夢が叶ったんで宮大工というのは私のいわば天職といってもいいか

な。今の若いもんが夢もなく何をしたいのかわからないなんていってるのはまったく

不幸だね。

そりゃ、修業時代は厳しかったよ。朝も暗い5時起きでその日の準備をしてから朝飯。

大工というのは気が荒いのが多いからね、現場では間違えると親方や先輩からノミや

カンナが飛んでくることもあったしね。だけど仕事が好きだからつらいと思ったこと

はなかったなあ。

お寺を建てるには大変な費用と時間がかかる。細工や彫り物などの手間仕事が山ほど

あるわけだから、それらをやり遂げる根気と技術と器用さが要求されるんですね。そ

れに寺院建築というのは一度建てたら何百年、いや、一千年以上持ちこたえられるも

のを造らなきゃならない。いい仕事をするためには材木の吟味、例えば樹齢何百年と

いうケヤキ材の確保、木取り、製材検査などに労力を惜しみません。それから現場で

は組み込みの際の一分の狂いも許されない細かい作業があるし、やりがいはあるけど

かなり気苦労は多いね。

仕事をしていて一番嬉しいのはやっぱり上棟式と完成したときの落慶式かな。それに

自分の仕事が後世に残るというのが寺院建築の醍醐味でもあるわけです。

今の悩みはね、後継者のいないこと。“石の上にも三年”というけどこの仕事はそん

なもんじゃない、十年はかかる。十年我慢してもらわないと技術は身につかない。今

の子は我慢できないんだな。すぐ結果を求める。まず損得なんかを頭で考えるから立

ち止まってしまうんだ。まず若いんだから損得抜きで体を動かさなくちゃあ。考えて

から行動するのではなく、行動してから考えろ、答えは体が出してくれると言いたい

ね。


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