7/30の日記          文は田島薫


型通りの悲劇

土曜の夜はサッカー日本代表のアジアカップ、絶対に負けられない試合、って、

スポーツキャスターが大騒ぎしてた先日のサウジとの準決勝敗退に続き、韓国と

の3位決定戦でも、0対0の延長の末のPK戦で敗退した。

トルシエジャパンの時のポジション管理サッカーの反省から、ジーコジャパンの

個人技尊重バラバラサッカーを経て、またオシムジャパンは管理サッカーに戻し

たらしく、ゴール前の攻撃がパスワーク偏重で、スペースが開いてて、自分でド

リブル突破でもシュートでもどんどんしろ、って場面でもすぐにだれかにパスし

ちゃ、タイミング遅れで相手に取られちゃうくり返しだった。


日曜は参議院選挙、投票行って来て、ま、自民の敗北は決まったようなもんで、

夜のテレビは速報ばっかり、で退屈なもんで、ショ−チュ−飲みながら数週間前

の深夜に録画しておいた評判の映画「トークトゥーハー」を見た。

内容を簡単に要約しちゃうと、映像の美しさや、暗示の旨さ、ってものをすっ飛

ばし、味もそっけもなくなっちゃって、これから見ようって人は以下を読まない

方がいいと思うんだけど、え〜と、事故で植物状態になったふたりの女性を介護

するそれぞれの男のやり方を対比して、片方は五感で女性との感応を実感し続け、

結果的に回復させ、片方は常識的発想と世間体による対応しかできない男によっ

て、あっさり死去させられる、って話。


サッカーも政治も命のコミュニケーションもその本質を捉えて、自分の感性を信

じながらやりぬくのでなければ、常識的作法をうまくやればいい、って考えるだ

けの者には本質的成功もそれを感受することもできない、ってわけなのだろう。


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