●連載 がたやま娘のひとりごと      文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

多才たえちゃん、舞台にだって出演だす。


手作り舞台に出演して

山形市が毎年主催する「山形平和劇場」の朗読・劇に出演した。市民の手作り舞台による

平和へのアプローチ、ということで一般公募なのだ。私は今年ド素人でありながらキャス

トとして仲間に加えてもらった。

地元の作家さんの戦争にまつわる小説を山形弁で演じる。年齢層は20代から70代とと

ても幅が広い。キャストはもちろん山形市民なのだが、なかには庄内地方(山形県の日本

海側)で生まれ育った人や、遠く鹿児島で生まれ育ってお嫁に来た人もいて、「うー、山

形弁ってむずがしいずねー!」と立派な山形弁で言いながら頭を悩ませていた。青森出身

で転勤で山形に来たばっかりの人も参加していて「山形弁の単語の意味がわがんね」と津

軽弁で言っていたので、みんなで意味を教えたりしていた。


春から稽古を続け、いよいよ本番を迎えた。

緊張もしていたが、どちらかというと、みんなで家族みたいにして稽古を積んできたんだ

よね、っていう信頼の気持ちの方が大きかった。ものすごくちゃんと深呼吸をして、舞台

へあがった。

舞台の上では、立っている足がガクガクしていた。台本落としそうだよとか、前の人の朗

読、早く終わんないかなー、早くしないと自分のところ忘れちゃいそうだよ、って雑念が

湧いた。演技の場面では、て・に・を・は、に気をつけた。でも、昼夜2回公演とも無事

に終えることができた。

お客さんの中には、ハンカチで目頭を押さえている人もいた。主演した人に「あんた、良

かったよ!」と声をかけてくれるお客さんもいた。夫のおばあちゃんも来てくれて「戦争

の時のこと、思い出したなぁ。」と言ってくれた。ハーモニカを吹いてくれたおじいちゃ

んもいた。お客さんは総勢1000人。戦争が終わって60年以上経つが、何年経とうと、

意義についていろいろな意見があろうと、戦争によって普通の人たちが傷ついたり悲しい

思いをしたのは事実。今の生活が幸せであるからこそ、忘れられない事実。


打ち上げで酒を飲んだ。本番日は朝からほとんど飲まず食わずだったので、これまでにな

いほどビールがすんごく美味しく感じた。スタッフもキャストも大きな仕事が終わったの

でみんな晴れやかだった。


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