●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの外国人シリーズの5回目、わかった事、について。
シリーズ 外国人交遊録●戦い済んで日が暮れて…
英会話教師リンダは所詮アメリカンネイビーの奥さん。ご主人の転勤とともに本国へ帰っ
てしまった。
それでも私の英会話修業の放浪旅はなおも続く。
今度は近所の教会の英語による聖書講読会。講師はアメリカ人だったが、多くのフィリピ
ン人やブラジル人が参加していた。聖書を学ぼうとする敬虔な気持ちはなく、ただ英語に
触れていたい、というよこしまな気持ちからだった。
講義の前後にお祈りをして、途中コーヒーブレイクがある。フィリピン人もブラジル人も
皆やさしい。茶菓子を自発的にもってきて振舞い、仲良くしゃべり、いつもニコニコと底
抜けに明るい。それは国民性というよりも、もしかしたら信仰の支えのせいかもしれない。
お金がなくてもなんとかなるさ,心配事はすべて神様に委ねよう、そんな人生観を持って
いた。
しかし講師がくるくる替わるし、プライベートになると、フィリピン語、ポルトガル語が
飛び交い、ましてクリスチャンでない私はだんだんついていけなくなり結局止めてしまっ
た。
いったん英語から離れてしまうと退化する一方だ。言葉は所詮ツール。当然使わなければ
錆びついてくる。
長い英語との戦いが終わった…。
目の色変えて英会話を勉強した結果いったい何が残ったのだろうか?今言えることは、英
語は忘れる一方だが英語学習の体験は残っていることだ。
思えば私がナマの英会話を習いだしたのは大人になってからである。日本人は学生時代の
受験英語が実践では役に立たないことを知っており、英語コンプレックスがある。そんな
日本人のために英語を食い物にして儲ける英会話学校が存在する。見た目が外人ならどん
な英語を話そうが教師として通用させてしまう。大体、本物の英語を話すにはまず日本語
の本質がわからなければならない。発声が違う、呼吸法が違う、イントネーションが違う、
こうした違いを研究して教える外人教師は何人いるだろうか。さらに言葉の選び方から発
想の違いがわからなければコミュニケーションは円滑にいかない。究極は文化の違いに辿
りつく。そして会話が成り立つには話す内容がなければならない。
私は外国人とお付き合いをして、皮肉なことに日本人気質がみえてきた。自分を含め、あ
いまいな日本人、お人好し日本人、単純で鈍感な日本人像が浮かぶのであった。つまり英
会話学習は自分のアイデンテティに帰するのだ。